アガスティアの葉に書かれている予言が正確だとしても、神への純粋な祈りや愛はカルマの法則を超えると言われている。真我の領域ではカルマの法則は意味を持たず、自由であるらしい。ここでいう自由は世界に対する力もあるが自由に振る舞っても世界を乱すことのない状態かもしれない。

 ヒラニヤカシプは厳しい修行を積み無敵同然の身体を得て、天上の神々にも打ち勝ち、三界を支配した。しかし神を信じる息子のプラフラーダを殺そうとして、神の化身であるナラシンハに殺された。

 ラーヴァナは厳しい修行を積み神仏に負けない力を得て、神々と戦い、人妻や娘達を奪った。またラーマの妻シーターを攫った。しかし神の化身であるラーマやラクシュマナ、ハヌマーンとの戦争で倒された。

 思ったことをすぐに実現できる力を得た男が、思っただけで美食や財産を手に入れたが、嵐が来たらどうしようと心配になって嵐に見舞われ、虎に食べられたらと心配になって命を落としたという小話もある。そもそも人間には思ったことを実現する力があるらしい。しかしまず正しいことのみを思えるようになる前にそのような力を得ることは破滅への道となりそうである。

 正しいことが何かということは誰にとっても同じというわけではない。しかし自分の心の声や自分の良心に耳を傾けて、静かにその内容を吟味した結果正しいと判断した結果は、自分にとって正しいことに違いない。それによって損失があったり他人に理解されないようなこともあるかもしれないが、真実を知るものは常に居て、また輪廻転生により自分でも自分の判断の結果を知ることができる、と理解している。

 神と戦って倒されるようなことも、もしかするとそれは過去のカルマの清算に必要なことかもしれないのだ。しかし強さに溺れた傲慢さや無慈悲な心は必要なこととは思えない。悪役であっても内面はイケメンであるべきだろう。

 今回は少し悪口に偏った気がするので、平静さについて書かれたリンクも記載しておく。


https://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_19730114.html