遠い話と感じて読み飛ばしていたが、意外に身近だったことがある。

 イエスの言葉「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私の所に来なさい。私があなた方を休ませてあげます。」を読んだ時は、真の意味は何だろうと考えていた。

 サイババの言葉「対等の者に物乞いをすれば、君は立場を下げ、相手が立場を上げる。しかし神に願う時、君は神に近づくのだ。神に願いなさい。それは全く差支えない。それは物乞いとは違うのだ」を読んだ時は、そういうものなんだね、と思った。なお『真実のサイババ』(著者:青山圭秀)に書かれた言葉である。

 パラマハンサ・ヨガナンダの言葉「神を求めればその他の必要なものは全て添えて与えられる」を読んで、同じところに行き着くんだね、と思っていた。

 しかし自分では全く神への願い、祈りなどしようとしなかったのだが、ある時これらを確かめてみようという気になった。トイレに入って人に見られないようにして神に祈る、翌日に〆切があって切羽詰まった時に神を瞑想する、などである。結論だけ言うと、ある種の苦況だったものが、何とか切り抜けられる結果になったように思う。少なくともウソ言うな!という気持ちになった記憶は無い。カルマ的に問題も無いとすると、コスト0でリターンはプラスだったと思っている。

 ただ、ここに書いたことだけだと気が引けるので、サティア・サイババの言葉が書かれたリンクを紹介させていただく。神に願う、神に近づくということをより分かりやすく説明していると思うからである。


https://sathyasai.jp/discourses/discourses/d_19840112.html