宇宙人の問題は刺激が強すぎるというか、多くの方にとっては
荒唐無稽と思われる恐れがあったので本当は触れたくないと考
えていた。

別に宇宙人の話を抜きにしても、この世に不思議なことはいく
らもある。なのに鬼の話へ踏み込んでしまったばかりに後戻り
ができない。

世界の神話や考古学を検討していると、世界の神は龍と牡牛に
二分されることに気付いた。

圧倒的にアジア世界は龍信仰に彩られ、西洋はほとんどが牡牛
の支配下にある。と言っても牡牛の信仰なんて聞いたことがな
いよ、と首を傾げる人が大半だろう。

意外に思われるかもしれないが聖書に登場する神は牡牛なので
ある。これははっきりと旧約聖書に記されている。

モーゼが神から十戒石を授かるために何日もシナイ山に登って
いたとき、麓で待っていたユダヤの民たちは帰りを待ち切れず
に神の偶像をこしらえた。

神はそれを眺めて激怒した。偶像を作ってはならないと強く戒
めていたはずなのに指導者のモーゼが側に居ないと民たちは直
ぐに身勝手なことをする。モーゼもそれを知って絶望した。

有名なエピソードなのでこれ以上は記さないけど、問題は神の
偶像がどんな姿をしていたか、にある。


聖書は明確に黄金でかたどった牡牛の像だと説明している。神
は牡牛に似ていると当時の民たちは意識していたのだ。

そればかりか、シナイ山から戻ったモーゼの頭には神の象徴で
ある角が生えていたという箇所もあるのだ。

近年ではモーゼに角を生やした姿を描くことをしないが、ルネ
サンス時代辺りまでの絵には角の生えたモーゼがしばしば見ら
れる。

聖書以外にもクレタ島のミノッソス宮殿には知恵のある牡牛の
伝説が残されているし、バイキングは牡牛にとっての仇敵とは
龍である。ドラゴン退治の伝説が西洋の各地に見られるし、聖
書における悪魔も龍の姿で描かれることが多い。


一方、アジアは龍の世界だ。釈迦は蛇(龍の変形)を信仰する
ナーガ一族の出身であるし、中国は龍の化身によって国が興さ
れたという伝承を持つ。ブータンの人々は龍の子孫だと主張し
ている。

我が日本にも龍神信仰が根強い。これを単なる文明の差と片付
けていいものだろうか。


一つの仮説を提案する。


龍と牡牛はもともと同族ではなかったのかという仮説だ。

龍にも牡牛にも角が生えている。それに聖書では悪魔も本来は
神の仲間だったと説明している。人間に知恵の実を授けたため
に創造主が怒って、その神を人間の暮らす地上へと追放したと
書いているではないか。

つまり、宇宙人の仲間割れが龍と牡牛の対立として伝えられて
いるのではないか、と推理したわけである。彼らは人類を傘下
に加えつつ、地球を二分しての闘争をはじめたのだ。

この仮説を基に神話を分析をすると面白いように筋道が見えて
くる。日本の神話も例外ではない。

古くはヤマタノオロチ(すなわち龍)の支配していた国をスサ
ノオが退治するところから新しい国作りがなされている。


スサノオの別名は牛頭天皇。

まさに聖書と同一の展開なのである。



キラキラフミワートキラキラ