柳田國男によって取捨選択された「遠野物語」をテキストにしている限り、
民話の背後に隠されている真実を探るのは極めて難しい。

柳田國男は意識的に不気味な存在としてのザシキワラシを外してしまった。
もし知らなかったとしたら、佐々木喜善が「聴耳草紙」を著した後に出版
された「遠野物語拾遺」に、必ず収録したはずである。

しかし、あいかわらず可愛らしいザシキワラシの話を繰り返している。


――綾織村砂小沢の多左衛門どんの家には、元御姫様の座敷ワラシがいた。
それがいなくなったら貧乏になった。

――遠野の町の村兵という家には御蔵ボッコがいた。もみ殻などを散らし
ておくと、小さな児の足跡がそちこちに残されてあった。後にそのものが
いなくなってから、家運は少しずつ傾くようであったという。

――附馬牛村の某という家では、先代に一人の六部が来て泊って、そのま
ま出て行く姿を見た者がなかったなどという話がある。近頃になってから
この家に十になるかならぬくらいの女の児が、紅い振袖を着て紅い扇子を
持って現れ、踊りを踊りながら出て行って、下窪という家にはいったとい
う噂がたち、それからこの両家がケエッチャ(裏と表)になったといって
いる。その下窪の家では、近所の娘などが用があって不意に行くと、神棚
の下に座敷ワラシがうずくまっていて、びっくりして戻って来たという話
がある。


見事なまでに怖くない。お姫さまとか、赤い振袖を着た美しい女の子であ
る。柳田國男は「聴耳草紙」に目を通しているので、これが意識的な選択
であるのは間違いない。

おぞましいザシキワラシは柳田國男の趣味に合わなかったのだろう。それ
がために可愛らしい存在としてザシキワラシが一般に広まってしまった。
偏ったデータしかなければ背後に秘められた真実を探ることなど不可能に
なる。

佐々木喜善が記録した話の方にこそザシキワラシの秘密に迫る証言が隠さ
れていたのだ。


みなさんはなぜザシキワラシが金持ちの家に現れると思いますか?



キラキラフミワートキラキラ