柳田國男のザシキワラシには意図的な選択があったのは明白だ。佐々木喜善が
自著に記した「一尺二、三寸ほどで座敷をとたりとたりと跳び回る黒い獣じみ
た存在」あるいは「襖のすき間からひょろりと飛び出す細く長い手」という描
写は不気味でおぞましい。

「奥州のザシキワラシの話」には老婆のザシキワラシも記録されている。


――栗橋村字砂小畑に、清水の六兵衛というかなりに裕福な家がある。明治三
十年頃の、旧暦三月十六日の夜、私の村の大洞犬松という男が、所用あってこ
の村へ行き、この家に泊まったことがある。その夜は他にも二、三の泊客があ
って、何れも常居の方に寝、家人に強いられるままに、独り犬松ばかりが、表
座敷と奥の座敷との間の処に寝させられた。表座敷には薄暗いランプがついて
いたということである。

やがて夜半とも思われる刻限に、奥座敷の床の間の方で、何物かの足音がする
と思って、犬松がひょっと顔を上げて見ると、一人の坊主頭の丸顔の、小さな
老婆が這い出して、自分の寝ている方へやって来る。はっと思うと、その老婆
は低い声でけたけたと笑って、隅の小暗い方へ引き返して行く。そうして這い
出して来ては、笑声を立てて又引込みそんなことを二、三度繰り返してやるの
で、堪りかねて夜明頃に、常居の方へ逃げ出して来た。

朝になってその事を皆に話すと、家の人たちは笑って、この家の座敷には昔か
ら、ザシキワラシという物がいるのだと、言うたとのことである。


「奥州のザシキワラシの話」にはこのような薄気味悪い例がいくつも掲げられ
ているので、通読すればザシキワラシに対して決っして良い印象を持てなくな
る。

もちろん柳田國男が紹介している可愛らしい子供のザシキワラシも一例として
挙げられているが、全体数から言うと、微々たるものだ。可愛らしい存在は特
殊ケースと言えるだろう。

佐々木喜善は「聴耳草紙」をまとめた。これは真実の遠野物語とも言うべきも
のだ。また、この完成によってはじめて民話を学問の対象にする手がかりを得
たことになる。

二人には民話のスタンスの違いがある。

柳田國男は民話を文学の一つと認識し、佐々木喜善は公式記録を持たぬ民の声
と考えていたのである。

文学作品には優劣が付けられるが、記録にはその差がない。
その相違が二人を別々の道に導いたのである。


次回は佐々木喜善の記録したザシキワラシから何が見えてくるか考えてみる。



キラキラフミワートキラキラ