あさぎさんの事前ワークでアドラーの嫌われる勇気って本読んでる…途中。
一つ一つ自分と当てはめながら読んでたら意外と時間がかかっちゃってるので、忘れないうちに所々気づいたことを書いていこうと思う。
今回は「愛のタスク」について。

人生のタスク(課題)は仕事、友人 、愛で分けられている。その中でも愛のタスクは家族に関わるもので、他と違って切り離しができないぶん変えるのが難しい。

私は昔から母親のいうこと聞いてりゃ間違いないって思ってたし、同じ職業就けば母親に喜んで貰えると思ってた。

でもある時、母のいいつけを守っても失敗したことを『母のいう通りにしたって失敗するんだ!!』と感じてから、いうことをきかなくなった。
そしてだんだん『母のいうこときいたせいで失敗した!!』に変換するようになった。
たとえば辛抱強く頑張りなさいって言われてメンタルやられるまで頑張っちゃうとか。お母さんが頑張りなさいって言うから頑張ったのにだめだった!!みたいな。

人のせいにするのは本当に楽で。
母のせいだって思えば自分に非はないと思える。私にとって、自分の正当性を確かめるために、母に責任転嫁することが必要だった。

母が弟を「あんたは私の最高傑作だよ」って可愛がってるのを見て、じゃあ私は失敗作だねってとらえる。弟がいなければ自分が一番可愛がられると思って、親に注目されたくて弟をいじめた。
アドラー的に言えば弟がいなければという過程に生きている限り、私は前に進めない。無意識に「私は本当は可愛いのに、弟がいるせいで可愛がられない」と変換している。
本当は「自分が親に可愛がられないのは自分が可愛くないから」ということを認められない。

アドラー「わたしも他者の期待を満たすために生きているのではない。他者の期待など、満たす必要はないのです。
他人と比べることは自分の人生を生きづらくすることだから必要ない。
まさに私は弟と自分を比べていた。母の期待を満たして、可愛がって欲しかった。
「ふみえも私の最高傑作だよ」って母親に認められたかった。承認欲求を求めてたんだなぁ。母のためになんて生きなくてよかったのに。誰かのために生きようとしたら、誰があなたの人生を生きるの?っていう一節が印象に残った。

アドラーは「自分原因論」を追及しているから、自分の人生を振りかえってみると結構きつい。今までのあれも、それも、母や環境のせいにしてたけど、本当は全部自分のせいだった…!!ガーン!!と目を背けたくなることばかりだ。

「痛みなくして得るものなし」とは言うけど、痛すぎじゃない?中2病の黒歴史覗いてる感じのイタさ。
よくバラエティーとかで、女優が昔の自分の映像を見せられて「いや~恥ずかしい‼やめてください!!」と言っているのは、昔の自分より今の自分の方がイケてると思っているから。昔より垢抜けて綺麗になって、演技力も上がって、場数も踏んでる。だから昔の自分の拙い演技を見るとイタく感じてしまう。
そう考えると昔の自分をイタく感じているのは、今の自分が成長している証拠だ。
私もいつか、今の自分をイタく感じるくらいに成長するぞー!!(^o^)v

自分らしくのびのびいこ~。