おはようございます

29年前の
5時46分
阪神淡路大震災

黙祷をしようと早起きしました
現地までは行けませんので
家から失礼します

当時11歳だったわたしは
40歳の今を生きています
わたしの干支、亥年でした

29年前の今日
とてつもない揺れで目を覚ます。
わたしは11歳
弟は9歳、末弟は5歳

わたしと弟は一緒の部屋で寝てたけど
あまりの出来事に
「お母さんーーーー!!!」と
何度も2人で叫んでいた

まだ5歳だった末弟は
オトンとオカンに挟まれて寝てたけど
3人が寝ていた頭上には
箪笥が倒れていた
その前に仏壇がありそこで止まったから
ご先祖様のおかげで
3人は箪笥の下敷きにならずに済みました

金魚の水槽の水は
まるで意志を持っているかのように暴れ

「お母さんーー!!」と
叫ぶわたしたちの上には
押し入れから衣装ケースが飛んできた
あまりの恐怖に叫ぶしかなかった

揺れがおさまってからの家の中は
天地がひっくり返ったのかと思うほど
ぐちゃぐちゃになっていました
訳が分からなかった。
直後は本当に何が起こったのか理解できず
オトンかオカンが
「えらい、地震がきてもた」と言って
慌ただしく家の中を確認し始めた
その時に初めて地震だと分かった

地震の怖さなんて知らないし
知識も何もない、ただの子供

水槽の水がほぼ無くなり
金魚は学校の中庭に逃すことに

学校まで弟と歩いていき
中庭に着くと、氷が張っていたから
とても寒い日だったと思う
後々、調べてみたら
地震が起きた朝5時台は
「2度」と書いてありました

家に帰る途中にも
普通じゃないことに気付く
街の色んなものが倒れていたり
色んな人が外に出ていて
只事じゃない雰囲気にまた怖くなって
早く家に帰ろうと思った

前日は
お婆ちゃんのお葬式だった為
伯父夫婦がお婆ちゃんの家に泊まっていた
伯父達の無事を確認しに
オカンたちとお婆ちゃんの家に行ったら
玄関の扉が開かないとのことで
近所の人たちと協力して
無理やりこじ開けた

伯父夫婦は幸い無事だった
ただ
ドアが開いて、少ししたら
香典やらお供物のフルーツなど
全て持って、そそくさと
自分の家に帰ってしまった
伯父夫婦の家は
あまり被害がなかった市でした

わたしは11歳だったけど
こんな大人になりたくない。と
その時、心底思った
人間の本性は
こういうときに出るんです
リアルな道徳を教えてもらうことができ
大人になった今となっては感謝です

それからは
しばらく大変だったけど
わたしが住んでいた明石市より
本当に大変だったのは
やはり明石より東方面です

阪神高速が倒れた映像も
信じられなかった
子供だから土地勘はないけれど
オトンやオカンと神戸にはよく行ったから
もう全てが信じられなかった

淡路島も大変だった
淡路には親戚がいる
幸いみんな無事だったけど
お婆ちゃんのお葬式が明石で終わって
淡路に帰った翌日にまさか。。。と

水道が使えない
ガスが、電気が、復旧しない
いつになるかも分からない。
食べ物も限られていて
そして、やっぱりとても寒くて
毛布にくるまっていたのを思い出す

インフラが復旧したときは嬉しかった。
けれど
それがどれほど有り難いことか
裏で一生懸命復旧に尽力された方が
どれほど居てくれたか
子供だったわたしには
まだ何も分かっていなかった

あの日から長い年月をかけ
被災した地域が復興するまで
どれだけの人たちに支えられ
どれだけの人の思いがあったか
忘れてはいけない


当時の雰囲気は
ずっと、みんな暗かった
とてもじゃないけど笑えない
ただ、生きるために
とにかくその日1日を無事に生き抜くこと
それだけに必死だったと
いま振り返る
色で記憶を例えるなら
全て灰色だったように思う

当たり前の生活が
ある日突然、当たり前ではなくなる
それも
誰のせいでもない。
自然が人間に対して
優しさや感情があるはずもなく
180度、一瞬にして景色を変えてくる
自然のせい、地震のせいだとなったら
気持ちのやりどころが無い
ただあるのは無力さと理不尽だけ

人間は生まれてから死ぬまで
日々コツコツと一歩ずつ生きていく
人それぞれ
たくさんの歴史や思い出を過去に持ち
明日のために、未来のために
今を生きているはずなのに
自然の脅威には勝ち目がない

地震なんて、数秒、数分で
何もかも壊されてしまう
みんな、それぞれ
それまで何年、何十年もかけて
積み重ねた今日までの全てを
たったそんな短い時間ですべて壊されたら
この先の生きる希望も持てなくなる

明石市でもたくさん倒壊し
数十人の方が亡くなった
怪我人も、たくさんおられたと思う
命が今あることが当たり前ではない
もしかしたら自分だったかもしれない
生と死はいつも隣り合わせ
手の届く距離で常に死も待っている

台風などは予測ができる時代になり
注意を促してもらえるけれど
地震は
確実な予知は出来ない分
いつどこで起こるか未知数だから

いざというときの為に
頭の中にイメージしておくだけでも
違うと思うのです
最低限の備えも大事だと思います

家族の集合場所を決めておくとか。
車に乗るなら、車に寝袋や簡易トイレを。
寝床の隅っこでも、スリッパや靴を。
あと笛もあれば、とか。
環境によって出来ることたくさんあります

本当に必要なものを
今はネットで調べられる
とても便利な時代となりました

29年前は
まだそんな時代では無かったから
テレビと新聞でしか
情報が入ってきませんでした

少し時間はかかるかもしれないけれど
必ず助けは来てくれます
それまでの1、2週間分の備えや
必要最低限の必需品。

いざ大変なことになってから
後悔するよりも
コツコツと備えながら
「杞憂だったね」と言える日が
一日でも長く続いてくれたらと願いたい

この先の未来に
何の災害もなければ
それに越したことはありません

ただ、それは希望的観測であって
現実は、そんなことは無いので
やはり、日頃から
頭の片隅にアンテナを張っておき
大難が小難に済むよう心がけたいと
思っています

大変なことになればなるほど
人間の嫌な部分もたくさん見えます
同じ人間か?と疑いたくなるような
そんな光景も見てしまうのです。
けれど。。。それも
明日は我が身かもしれません。
そちら側の人間にならないとも限らない。

理性があるうちは
秩序や法律を守れていても
満たされているうちは
それを非難する側になれていても

あまりに空腹すぎたら、
極度の寝不足だったら、
家族を守る為なら、
ストレスが溢れ出したら、
耐えきれない絶望を知ったら、
自暴自棄になったら、
全てを失ったら。
人であることを辞めたとしたら。

我を失うことは誰にだって起こり得る。

何事も明日は我が身。

わたしが生きた40年間でも
阪神淡路大震災、鳥取県西部地震
新潟中越地震、岩手宮城内陸地震
東北大震災、熊本地震
鳥取県中部地震、大阪北部地震
北海道胆振地震、
このたびの能登半島地震
(記入漏れ、いくつかあるかもです)

たくさんの地震が日本では起きています
他人事ではないのです。
そして、まだ復興が出来ていない地域も
たくさんあると思います。

明日を生きるために
大切な今を守るために
いま自分が出来ることをコツコツとです。


※未来へ


それでは、またニコニコ