北川辺町時代に刊行された「ふるさとの文化財」という冊子の表紙である。

昭和62年刊なので昭和60年前後、今から37~38年前の航空写真であろう。

写真の下部を流れる渡良瀬川、右下に架かる橋は三国橋。

当然のことながら、この頃、新三国橋も国道354号線もない。

当時の354号線は三国橋を渡って右折して堤防沿いに北へ向かうルートだった。

新古河駅のすぐ西側に造成開発中の陽光台がよく見える。

住宅にするため田んぼをつぶしているのだが、上空から見ると漢字の「田」に

見えるのは、なんとも皮肉なことに思われる。

 

左下部に旧川(旧渡良瀬川のこと)が横たわる。

かつて渡良瀬川の蛇行部分がストレートに河川改修されて、三日月湖状態になっている。

高校生になってまもなくの頃、地理のテストだったか、5万分の一の地図を見て、この

三日月湖を答えさせる問題がでて、何と地図は北川辺ではないか。

まさか我が家のすぐ近くが試験問題に出題されるなんて思いもしなかったので驚きであったが、

こんなチャンスはめったにないので、地図上の我が家の位置に三重丸を記しておいた。

え?テスト問題にそんなことして大丈夫か、だって?

解答用紙のみの提出なのでご安心召されい。

 

話がそれてしまった。

旧川の蛇行するところ、西側(写真では上側)が駒場の中心である。

「駒」は馬のことだから、馬の牧場とか馬の乗り継ぎ場関係の地名が一般的だ。

鑓水先生も「渡良瀬川が近世に至って造成した自然堤防上に馬の牧場があったところ」

(北川辺の民俗一 昭和59 町史編纂委員会編)と述べている。

しかし、新編武蔵風土記稿、駒場村の条には馬に関する記述は全くなく、以前から

不審に思い続けていた。

方言や地名の項を書いていて、ふと気づいた。

「コマ」は馬ではなく、「クマ」の転訛ではないかと。

 

ウ音からオ音への変化は珍しくないし。

例:河洲(カス→カソ・カゾ)、大洲(オオス→オオゾ大曽)、

不図(ブト→ボット)など既に記した。

 

「クマ」は熊さんではなく、漢字をあてると「曲」。

千曲川・球磨川・阿武隈川、みな蛇行・曲流する川だ。

埼玉県の熊谷は荒川の大きく曲がる地だし、荒川の支流高麗川も「コマがわ」

と読み、やはり蛇行の多い河川である。

 

旧川がほぼ90度曲流するところ、まさにドンピシャではないか。

そして、対岸は伊賀袋。伊賀袋のフクロ地名については既に述べた。

小稿「伊賀袋と小野袋」参照してください。

クマもフクロも代表的な河川地名である。