昔日の柳生駅
「写真アルバム 行田・加須・羽生の昭和」2019年いき出版刊より。
写真提供は加須市役所とある。
市町村合併の前、まだ北川辺町だった頃、撮影したものと思われる。
何となく見たような気がするので、広報などに掲載されたものかもしれない。
撮影年月日が不明であるが、鑑識に回して推測してみよう。
下りの電車が到着し、家路を急ぐ人たち。
通勤客や学生が一緒ということは、夕方の時間帯、これだけ明るいところを見ると
4月か5月。
上着を着てない人もいるが、衣替えの前であることは間違いない。
さて、昭和のいつ頃だろう。
わずかに見えるタクシーらしい自動車の形もヒントになろう。
三流亭の知人である元高校教師の某氏がたまたまこの写真を見て、
「女子高校生の制服を見よ。制服のスカート丈は膝丈が一般的だが、この写真の
子は明らかに長い。長いスカート丈が流行したのは昭和55~56年ごろだったと思う。
それに、髪型はなんとなく聖子ちゃんカットではないかいな。彼女の人気絶頂期も
その頃じゃなかったかな。」なんて言う。
なるほど、そんな見方もできるのか。
世の流行に疎い三流亭は感心するばかり。
確かに流行のファッションや風俗は、その時代をよく映しているからなあ。
この頃、隣の板倉東洋大学前駅はまだできておらず、板倉町の住民で柳生駅を
利用する人は多かったと聞く。
同じ北川辺町内の新古河駅よりも柳生駅の方が乗降客数は多かったということだ。
ただ、柳生駅には駅長さんはいなかった。
新古河駅長が柳生駅長を兼ねていたんだとか。
しかし、令和のこんにち、新古河駅の駅長さんもいなくなった。
栗橋駅の駅長さんが兼任しているという話だ。
当然、柳生駅も栗橋駅長の兼任ということになるんだろうな。
東武鉄道の都合もあるんだろうが、そのうちに無人駅になるんじゃないかとも思える。
三流亭もたまに新古河駅を利用するが、昼間でも駅員さんがいないときもあるし・・・。