横浜生まれの祖母


私の祖母が88歳で亡くなったのは、

私が23歳のとき。

今から60年前のことでした。


私の知っている祖母の面影は

地味な着物を着て編み物のをしているすがたです。


台湾で政府筋の高官の夫と6人の子供を育て生活していたそうです。


その台湾時代のことを知っている人から、

とてもハイカラで、おしゃれで、マネキュアなどもつけていたと

私からすると考えられない生活をしていたといいます。


時折祖母は横浜に住んでいた昔の話をしてくれました。


祖母の幼い頃にはまだ外人が一部のところにしか住んでいなかった。

しかしその住んでいた外人から珍しい食べ物などが

いち早く伝わっていたそうです。


祖母は外人から伝わったワッフルと言うお菓子が

大好きで欲親にかってもらったといいます。


祖母の話では自分たちが住んでいた丘の上に家のあったところを

イギリスの領事館の公邸にしたいと言われたと言ってお増した

祖母の一家はその後よこはまのちゅうしんがいへと引っ越したと言うのです


その話が本当ならば、、外人墓地の近くの

今イギリス感という名前で横浜の指定文化財となっているところです。


祖母が日本橋の三越にいったときは

草履を脱いで上がり、反物を見せてもらったといっていました。


着物は三越で買う、マネキュアなどをつけるおしゃれな人だったのでしょう


晩年70前後になって、地味な着物しか着なかった祖母ですが、

モナリザやツタンカーメンが日本に来たときは見に行ったと、

外地(南インド)にいる私達に手紙をくれました。


本を読むのが好きだったのですが、85歳を過ぎた頃からは、

本よりも私達が読んでいた少女漫画を読んでいました


またマクドナルドやケンタッキーフライドチキンの店が藤沢にできてからは

よく私達孫に書いに行かして一緒に食べていました。


外国から来た食にも興味を示すなど、

無くなる寸前までハイカラ好きの精神は失われませんでした。


やはり外国のために開かれた街横浜生まれという気質は

亡くなるまで持っていたのかもしれません。




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