書き出しは何をどう書いてもいい

 この章では自分史を書くに当たっての文章作法について述べてゆきます。まず書き出しです。書き出しは、全体の始まりですから、格段の配慮が必要である。こんなふうに言う人もおります。

 この指摘は半分当たりで半分外れ。文学作品は書き出しに名文が多い。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」(川端康成『雪国』)などは、その代表例ですが、自分史は書き出しにこだわらないほうがいい。
 書き出しが見事といわれるのは、結果的にすぐれた作品が出来上がったからで、書き出
しが作品を決めたとは必ずしもいえない。ただ、書き出しがうまくいくと、後の展開が楽になる、そういう意味で、書き出しを軽んじることはできません。
 では、自分史はどんなふうに書き出されているか。いくつかの作品に当たってみることにしましょう。

 

 ・「一八三五年十一月三十日、私はミズーリ州モンロー郡のフロリダという、いとも目につ
かぬちっぽけな村に生まれた」(マーク・トウェーン『自伝』) 

 

 ・「ぼくは一九二八(昭和三)年一月十日、東京で生まれたらしい。『らしい』というのは当時意識がなくて、戸籍にたよるよりないからである。実際に難産で、鉗子で引きずり出され、しばらくは産声をあげなかったそうだ」(森毅『自由を生きる 人生は芸能、そしてゲームだ』) 
 

 このように「私はいつ、どこそこで生まれた」といった形で書き始めれば、次へとつなげてゆきやすい。もっともオーソドックスな書き出し方です。実際の自分史に当たってみると、いろんな書き出し方がある。わりと多いのは、先祖のこと、あるいは祖父や父母のことから書き起こす例です。   
 

 ・「私の父、小畠弥左衛門は家禄百五十石を取っていたが、役目は足軽組頭であった。組頭というのはお留守組とか火の組とかいう組の頭であって、実際では禄高から云っても立な士分だったのである」(室生犀星『憑かれた人 二つの自伝』) 
 

 ・「私の母は今年七十四歳である。母の唯一の誇りは天皇サマ(昭和天皇)と同じ年である
こと、そして最大の悲しみは一人娘の私が育ち過ぎて手に負えなくなったことらしい」(高峰秀子『わたしの渡世日記』)

 

 書き出しは、とかく「カッコよく」と思ってしまいがちですが、あえてそうしないほうがいい。ごく自然に自分が思いついたままスッと書き出す。これがすらすら書いていくコツといってよいでしょう。(第44回了)