イルミナティ創設者ヴァイスハウプトについて<中編> | 宇宙の叡智を降ろすブログ

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陰謀論シリーズその3です。

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◆アダム・ヴァイスハウプト、前回のまとめ

前回の記事→イルミナティ創設者ヴァイスハウプトについて<前編>

アダム・ヴァイスハウプト肖像画2
(アダム・ヴァイスハウプトとされる肖像画)

アダム・ヴァイスハウプトは、啓蒙主義の養父から薫陶を受け、若干26歳で大学教授になる。しかし、教皇令により解散されても大学でのイエスズ会の影響が強く、啓蒙主義者のヴァイスハウプトはいびられたそうです。元々啓蒙思想をもつヴァイスハウプトは、極度のイエスズ会、宗教嫌いとなります。そして志を同じくする者だけの秘密結社イルミナティを創ります

 

 

※今回の記事は、基本的にIlluminati(英語版Wikipedia)を参考に書いています。

 

◆初期のイルミナティ

1776年5月1日、秘密結社イルミナティ設立時は、教授のヴァイスハウプトとその生徒だけだった。

 

 

2年後、ヴァイスハウプトは生徒や友人を誘い、メンバーは27人にまで増えていた。

初期のイルミナティでは、3つの階級、ノービス、ミネルヴァ、イルミナティ・ミネルヴァにわかれていた。ミネルヴァ以降が複雑な儀式に関与できた。メンバーには秘密のサインと暗号が与えられた。

ヴァイスハウプトはメンバーの活動と性格を把握し、お気に入りを評議会に入れた。新規メンバーとして好まれる候補者は、金持ちで、従順で、学習意欲があり、18〜30歳でした。性格の良いクリスチャンが望まれ、ユダヤ人、異教徒、女性、聖職者、他の秘密結社メンバーは除外された。


要するに、ヴァイスハウプト教授が好き放題やっている秘密結社だったわけですね。


しかし、秘密結社としては当時流行のフリーメーソンを無視することはできませんでした。

1777年、当初は自分の思想を十分に表現出来ないとフリーメイソンを拒んでいたヴァイスハウプトだったが、メンバーがフリーメイソンに参加するのを思いとどまらせるため、また自分の儀式の資料を手に入れるために、フリーメイソンに参加した。


まずプロイセンのグランドロッジから新しいロッジ・セオドアの設立令をもらい、そこにそのままイルミナティを参加させました。ロッジ・セオドアへ派遣されてきたマスターは追い出し、ヴァイスハウプトが実権を握ります。

次に イギリスのグランド・ロッジに加盟するフランクフルト・ロッジと関係を確立することにより、ロッジ・セオドアは独立したロッジとして認知されました。

 

 

◆フリーメイソン

1800年頃のフリーメイソン入会儀式の一部。

(1800年頃のfフリーメイソン入会儀式の一部。メイソンは儀式を多用した。それはイルミナティも同様である。)

 

 フリーメイソンがいつから存在していたのか諸説あり不明である。古い順からエジプトのピラミッド建設した石工集団、ソロモン神殿建築家達、中世の石工職人、テンプル騎士団。ともかくキリスト教の教えとは一線を画した、石工集団であったらしい。
 

自由な友愛を求め,18世紀初頭より結成された国際的な親善団体。中世の石工 (メーソン) ギルドの流れをくみ,1717年ロンドンに結成されたのが始りで,全ヨーロッパからアメリカに急速に広がった。ロッジと呼ぶ集会を基礎的組織単位とし,一地域ないし一国内の数ロッジが集って上級の大ロッジを形成する。ヒューマニズムとコスモポリタニズムを信条とする会の原理に忠実であるかぎり,原則的には民族,階級,社会的地位,宗教によって会員の資格は制限されない。入会の際,象徴的,神秘主義的な儀式が行われ,会員は定められた合図,合言葉,符丁によって認知し合う。ロッジ内部には,ギルドの徒弟,職人,親方の3身分が投影された3つの基本的位階があり,大ロッジは独立性を保ちつつ大連合を形成する。フリーメーソンは 18世紀の合理と進歩を重んじる啓蒙主義的な時代思潮のにない手でもあり,個人主義的な倫理を信条とする中産階級,特に知識人が構成メンバーの中心となった。したがって宗教に関しては寛容,反動的な政治に対しては自由を主張したため,本来は秘密結社ではなかったにもかかわらず,教会や政府の弾圧を受けて陰謀団体,革命結社のように危険視された。アメリカ独立革命,フランス革命や 19世紀後半の自由,統一運動にはフリーメーソンの活躍は無視できないが,急進的共和主義や社会主義とは縁遠かった。現在ではその役割と意義は微弱になっている。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 フリーメーソン
(装飾は天同による)

 

 

◆イルミナティのリクルーター、クニッゲ

アドルフ・フライヘル・クニッゲ

(苦労人で、天才リクルーターのクニッゲ。現代日本でも読まれる本を書いています)

 

1780年にフリーメイソンのフランクフルト・ロッジで、クニッゲとヴァイスハウプトは出会った。クニッゲは、ヴァイスハウプトの思想に惹かれ、ヴァイスハウプトはクニッゲの錬金術や科学の知識を認めた。クニッゲはイルミナティに参加する。

アドルフ・フライヘル・クニッゲ(Freiherr Adolph Franz Friedrich Ludwig Knigge,1752年10月16日-1796年5月6日)はドイツの作家。

クニッゲは下級貴族の一員として生まれました。11歳のとき母が亡くなり、その3年後に父も亡くなった。孤独になったクニッゲには莫大な借金が残された。債権者達に財産を取られ、クニッゲ少年には500ターラーのわずかな年金しか残らなかった。彼は1769年から1772年まで法律を学び、その時フリーメイソンに参入した。1777年には裁判所の出納係になった。
しかし、フリーメイソンは彼の知的好奇心を満足させることはなかったようだ。

クニッゲは、精力的にイルミナティ勧誘活動を行います。主にフリーメイソン会員に働きかけ、ロッジ全員がイルミナティに参加することもあった。1784年末の検証可能なメンバーの総数は650名になった。後にヴァイスハウプトは2,500名を主張した。実際の人数はその間だろう。

 

メンバーは教会員、学者、医師、弁護士、官吏、王侯貴族達であった。そのなかにはゲーテやその主君カール・アウグストも居た。

 

凄腕のリクルーターですね。作家で本も出しています。

今でも日本で読まれているぐらいだからかなりのものですね。天同も書店でイルミナティ関係者だとは知らずに立ち読みしたことがあります。内容は、、、、すごくまともでしたキョロキョロ

 

 

 

 

◆イルミナティの崩壊

急速に規模を拡大したイルミナティは、頂点を迎え、その後急速に瓦解していく。

クニッゲ加入からわずか3年後の1783年、ヴァイスハウプトとクニッゲは言い争うようになり、1784年にクニッジはイルミナティを脱会した。クニッジは、「もはや攻撃的なヴァイスハウプトの横暴に耐えることができない」と述べた。


イルミナティの会員は大学教授、官吏、貴族、富豪などで占められていたため、バイエルン、特にミュンヘンでの我が物顔で振る舞うようになった。彼らはしばしば君主制への批判行い、裁判では同じイルミナティの会員を優遇した。イルミナティはバイエルンで出回った反宗教出版物の原因にされた。インゴルシュタットでは、イエズス会の部長にイルミナティ会員が就いた。

 

 


カトリックであるバイエルン選帝侯カール・ テオドールは危機感を覚え(政治的には無能で統治に興味がなかったので、恐らく宮廷やイエスズ会の差し金により)、1785年にイルミナティを含むすべての秘密結社を禁止した。
バイエルン選帝侯カール・ テオドール

(政治には興味がなかったバイエルン選帝侯カール・ テオドール)

 

これはイルミナティに致命傷を与えた。ヴァイスハウプトは大学のポストを失う。バイエルンに居られなくなったヴァイスハウプトは、1786年にインゴルシュタットから300km北に離れたゴータに亡命し、そこでザクセン=ゴータ=アルテンブルク公エルンスト2世の庇護を受ける。以後1830年に亡くなるまで執筆活動を行う。
1730年のゴータ

(ヴァイスハウプトの亡命先、ドイツ中部のゴータ。ここで宮廷仕えになって、死ぬまで安泰だったようだ。)



こうしてイルミナティは活動期間8年間で、あっけなく終了した。

ここまでが、反陰謀論者でも納得の歴史的経緯だけです。

 

 

 

◆陰謀論の始まり

あっけなく8年で解散してしまったイルミナティですが、どうしてここまで名前が広まったのでしょうか?それは二冊の本によります。

 

ジョン・ロビンソンは、『フリーメイソン、イルミナティ指導的秘密結社で議論されたヨーロッパのすべての宗教と支配者に対する陰謀の証拠,』(1797),(archive.org)を出版した。

(物理学者ジョン・ロビンソン。サイレンを発明したり、蒸気機関車に関わった)

著者はスコットランド人で、若き日々にフリーメーソンのロッジを訪れ、その友愛組織と秘教的精神の素晴らしさを享受していたが、後年、フランスやドイツの分派が政治宗教的に極めて危険な存在であることを見聞するに至って、フリーメーソンに対して批判的な立場を取ることとなった。
科学書院 | 『ヨーロッパ全土の宗教・政府に対する陰謀の証拠』


また、フランスのイエズス会司祭のバリュエル『ジャコビニズムの歴史を描いた回想録』(1797-1798),(archive.org)を出版する。

(現代の陰謀論の父と言われる、バリュエル神父)

 

両氏の本は、イルミナティが弾圧を生き延び、フリーメイソンと共に、国際的陰謀を企てている。フランス革命も彼らの仕業であるという主張である。

 

これらは当時、大変な話題となったそうだ。これまでもそういう説がなかったわけではないが、大量の文献と共に解説したのは、『ジャコビニズムの歴史を描いた回想録』がはじめてであり、それがそのまま現在の陰謀論へとつながっていく。

 

 

 

すっかり長くなってしまいました。どうもこの時代はかなり私の過去生とも関係していそうな気がします。知り合いの過去生がもちらほら出てくるんですねキョロキョロカルマあるのかなぁ

 

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