6月のbeトレで、書きたいことがあったのに迷っていた。
今さらだけど書いておきたい。
歌の時。
前は話しが楽しみで参加していたのが、
今は歌の方が好きで楽しみなんだなぁ、
上手いなあ、ナマ音はいいなあ、と気分良く聴いていた。
それが、ある歌で一転した。
お母さんのため我慢して頑張った人を癒すような歌だった。
私のはお母さんじゃない。だから楽にならない。
違うー!違うんだよ! …すごい勢いで心が叫んでいた。
席の周りにバリアーが張られ、繭の中にいるようだった。
理解されない悲しみ。
それはそうだ。私みたいな体験、した人はほとんどいないし。
わかるわけないよな。
うまく伝わらないし。
羨ましかった。この歌でホッとできる人が。
…ふと、目の前に小さな自分の姿が見えて、
気がつくとその子を強く抱きしめていた。
誰にも理解されなくても、私がわかってるから!
叫ぶようにそう思いながら。顔をぐしゃぐしゃにしながら。
強くて賢い小さな私
だからひとりで頑張ってられたんだね
鋼みたいに強いんだよなあ
ほんと強くて…、笑っちゃうくらいだ
(匠に鍛えられれば名刀になったものを)
そんなことを思いながら。
いつもは気づけない自分自身を見ていた。
何という影響力なんだろう、仁さんは。
心が全速力で走ることになるのは参る。
まったく仁さんのうたは油断ならない。
周りと折り合わず、もどかしさを抱え、
十代で人生を投げたいと感じていた。
自分で自分を見放したらそこで終わる。
いつしかそう思うようになった。
いつか来たところへ、もう一度来ただけか。
らせん階段を登った同じ向きのところなのか。
私の中の小さな自分に気がついたのは、マスター受講中のこと。
あの頃は顔色真っ白で、弱々しい姿して、
ただ無事を願うしかできなかったけれど。
今は、大事な相棒。
いかマスへ行っていて、ありがたかった。
コロナ明けのbeトレ、
不安はあったけれど、出かけてよかった。
今日、東京beトレ。
風邪が抜けきらず断念。
誕生月だから、なおさら残念。
お祝い、ほしかったなぁ。