ごきげんさまです
岐阜県大垣市在住
断捨離®トレーナー講習生
菱田史子です
今日は私の寝室と廊下を磨きました。
離陸のための滑走路磨き
今まで、慣れないブログで毎日追われてましたが、今日から心機一転
もう一度身の回りを見回して、自分磨きしてまいります
さて、今日は実母と義母のことを書かせていただきます。
まずは実母から
今、母は認知症で施設のお世話になってます。30代半ばからリューマチを発症して徐々に痛
みが伴い、今は何も自分ではできない状態です。
が、今思い返しても母との良い思い出はありません。
思い出すのは、いつも怒られてばかり、褒められたこともなく、何をしても否定ばかり。
私は、いつも自分に自信がなく、人前で話すこともできず、影の薄い子でした。
反抗期もありましたが、自分の意思で行動できず、母にお伺いをたてて、行動してきまし
た。なので、二十二歳で結婚しましたが、それまでの人生は,白紙の状態、そんな印象で
す。どんな暗い人生だったのでしょうか
母はリューマチで、思うように動けなかったので何かにつけて、運転手をしたり、おいしい
モノがあると母親に、リューマチにいいと聞くと連れて行ったりと、私なりに一生懸命親孝
行してました。
今から思うと良い娘、認めて貰いたいという気持ちだったのだと思います。
(結婚してとても解放感を味わってました。)
我々の時代、この辺りは、荷だしというのがありました。ご存知ですか?嫁入り道具を、ト
ラックに紅白幕をつけて。3台程に載せて新居に運び入れるのです(ありえな~い)
婚礼家具、ピアノ、電化製品、着物、婚礼布団等々。今から思うと考えられませんが、とて
も派手でした。(当時はそれが当たり前)現在はそんな風習はなくなったようです。(我が娘たちには、必要なモノだけ)
画像はネットよりお借りしてます(40年程前の写真)
私は、心の中でなぜこんな派手なことをするんだろう?親の思いと、私の思いにとてもギャ
ップを感じてました。親は精いっぱいの愛情表現だったのでしょう。
だけど、私は、親からの愛情を幼い時から、感じずに育ったので、どこか冷めていました。
親の見栄?
60代半ばに断捨離に出会うまで、モノによって親に束縛されてることに気づかなかったのです。
そして気づいたのです。
どんどん断捨離していく中で、家の中のモノ、親からのモノで埋め尽くされている。
婚礼家具、ピアノ、婚礼布団、座布団、お雛様、食器、等々
背中に重くのしかかって……
どのように向き合って断捨離していったのか?
またまたとても長くなりますので、後日綴らせて頂きます。
義母のことも後日に。
今現在,実父は3年前に他界してます。
断捨離で母との関係に向き合い、母に対しての気持ちに正直になろうと
なので今は「会いたくないので会わない」という自分の気持ちを大切にしてます。
今日も一日ごきげんに~
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