~生き延びるから生きるへ
言葉を置きはじめた理由~
こんばんは。
いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。
三連休の最終日、
今日はどんな時間を過ごされているでしょうか。
私は今朝も、スタバで過ごしています。
ここ数回の記事で私は、
「生き延びるから、生きるへ」
静かに移行していく身体の感覚や、
日常の中で起きた小さな変化を
そのまま書いてきました。
もし、
「これ、私のことかもしれない」
そんなふうに感じながら
読んでくださっていた方がいたとしたら、
今日は少しだけ、
私がどんな場所から
この言葉を書いているのかを
置いてみようと思います。
答えを渡すためではなく、
導くためでもなく、
ただ、同じ場所に立つために。
私は、
生きづらさを
愛着の痛みから紐解くナビゲーター
真宙(まひろ)です。
この記事を読んでくださっている方は、
今、どんな悩みを抱えていらっしゃるでしょうか。
■ 親子関係のこと
私自身、
幼少期にとても厳しい父のもとで育ち、
一度も甘えた記憶がありません。
母とは、
大人になってからも長く
共依存のような関係が続きました。
「わかっているのに離れられない」
「背負わなくていいはずのものを背負ってしまう」
そんな関係性の中で、
私はずっと
“役割”を生きてきたのだと思います。
■ 恋愛のこと
恋愛では、
幼少期の見捨てられ不安が重なり、
気づかないうちに
父との関係をなぞるような関係性を
繰り返してきました。
大切にしたいのに、苦しい。
離れたほうがいいとわかっているのに、離れられない。
そのたびに私は、
「自分が弱いからだ」
そう思い込もうとしていました。
■ 仕事・人間関係のこと
仕事や人間関係でも同じでした。
幼少期に身につけた
「見捨てられないための生き方」を、
大人になっても無意識に背負い続け、
あと一年。
あと半年。
もう少しだけ。
そうやって、 生き延びるために頑張り続け、
走ることをやめられない人生を
歩んできました。
■ そして今
今、私は
生き延びるから、生きるへ
静かにシフトしています。
身体の緊張が、少しずつほどけていく中で、
ふと立ち止まり、思うのです。
私は、
どれだけ長い時間、
必死で頑張り続けてきたのだろう、と。
それは決して
間違いではありませんでした。
あの頃の私にとって、
それは
生きるために必要な方法だったから。
正直に言えば、
私はずっと
一人で闘ってきた気がします。
誰にも頼らず、
弱さを見せず、
立ち止まらず。
そうやって生きるしか、 なかったのだと思います。
だからこそ今、 私が大切にしたいのは、
見捨てないこと。
一人にしないこと。
離れないこと。
それは、
誰かのためであると同時に、
かつての自分自身に
向けている姿勢でもあります。
■ このブログで伝えていくこと
このブログでは、
幼少期に刷り込まれた
脳と身体の記憶から、
なぜ私たちは
生きづらさを抱えてしまうのかを、
いろいろな角度から紐解いていきます。
見捨てられないために、
役割を背負い、 仮面をかぶり、
「何者か」になろうとしてきたこと。
それは、
性格の問題でも、 努力不足でもありません。
生き延びるための知恵でした。
でも今、
もうその仮面を脱いでもいいとしたら。
もう、
何者にもならなくていいとしたら。
そのままの自分に、
少しずつ還っていくことができるとしたら。
本当はあなたは、
どんな景色を見たかったのでしょう。
このブログでは、
その問いに、 急がず、答えを決めつけず、
一緒に立ち止まりながら
向き合っていきます。
それが、 私がここで
言葉を置いていく理由です。
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