辛い心境にある友人の、大事な話を聞かせてもらうようなとき。私自身のかつてのひどい自尊心の低さ、その名残りに阻まれている何かがあるなと感じることが出てきた。
煤けた私…という認識からまなざす相手たちは、いつも光って見えた。そのまぶしさに目が眩んで、相手の心の痛みや陰影をうまく想像できないでいる日々が随分長かったみたい。
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相手の中にそれぞれ光を見ているなら構わないかな、とどこかで開き直っている自分もいたと思う。
良いところ好きなところを見つめられるのならそれで十分なのではと思ってもいたのかもしれない。けれど、そんな眼差しに基づく付き合いに違和感を覚えるようになってきた。
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相手と自分、固有で対等な関係を築いてみたいのなら。人の喜びや痛みに対して、しみじみと冷静に向き合い付き合いたいのなら… この、なんだかしぶとい「相手は光で私は埃」みたいな価値観はよくないなと改めて思う。言葉にしづらい感覚なのだけど。
悲しみが生んだ切ない歪み(とあえて言ってみている。歪みと共に一所懸命生きてきた)を、ゆっくり見直し、この日々において納得のいくように正していってみたい。
相手の光に目を向けるように自分の光を見、自分の影を見つめるように相手の影を見、改めて自他を知りゆくプロセスを観察してみたい。
その先で生まれるやさしさを知りたい。

