六歌仙の資料として、以下は小学館『古今和歌集』(日本古典文学全集7)からの引用です。
今の世の中、色につき、人の心、花になりにけるより、あたなる歌、はかなき言(こと)のみいでくれば、色好みの家に埋(うも)れ木の、人知れぬこととなりて、まめなる所には、花薄(はなすすき)ほに出(いだ)すべきことにもあらずなりにたり。その初めを思へば、かかるべくなむあらぬ。古(いにしへ)の代々の帝(みかど)、春の花の朝(あした)、秋の月の夜ごとに、さぶらふ人々を召して、事につけつつ歌を奉らしめたまふ。あるは花をそふとてたよりなき所にまどひ、あるは月を思ふとてしるべなき闇(やみ)にたどれる心々を見たまひて、賢(さか)し愚(おろ)かなりとしろしめしけむ。しかあるのみにあらず、さざれ石にたとへ、筑波山(つくばやま)にかけて君を願ひ、よろこび身に過ぎ、たのしび心に余り、富士の煙(けぶり)によそへて人を恋ひ、松虫の音に友をしのび、高砂(たかさご)・住江(すみのえ)の松も相生(あひおひ)のやうに覚え、男山(をとこやま)の昔を思ひ出(い)でて、女郎花(おみなへし)のひとときをくねるにも、歌をいひてぞ慰めける。また、春の朝(あした)に花の散るを見、秋の夕暮れに木(こ)の葉の落つるを聞き、あるは、年ごとに鏡の影に見ゆる雪と波とを歎き、草の露、水の泡(あわ)を見てわが身を驚き、あるは、昨日(きのふ)は栄えおごりて、時を失ひ、世にわび、親(した)しかりしも疎(うと)くなり、あるは、松山の波をかけ、野中(のなか)の水を汲(く)み、秋萩の下葉(したば)をながめ、暁(あかつき)の鴫(しぎ)の羽掻(はねが)きを数へ、あるは、呉竹(くれたけ)の憂(う)き節(ふし)を人にいひ、吉野川をひきて世の中を恨(うら)みきつるに、今は富士の山も煙立たずなり、長柄(ながら)の橋もつくるなりと聞く人は、歌にのみぞ心を慰めける。
古(いにしえ)よりかく伝はるうちにも、ならの御時(おほんとき)よりぞひろまりにける。かの御代(おほんよ)や歌の心をしろしめしたりけむ。かの御時に、正三位(おほきみつのくらゐ)柿本人麿 なむ歌の聖(ひじり)なりける。これは、君も人も身を合はせたりといふなるべし。秋の夕(ゆふべ)、龍田川に流るる紅葉(もみぢ)をば帝の御目(おほんめ)に錦(にしき)と見たまひ、春の朝(あした)、吉野の山の桜は人麿が心には雲かとのみなむ覚えける。また、山部赤人 (やまべのあかひと)といふ人ありけり。歌にあやしく妙(たへ)なりけり。人麿は赤人が上(かみ)に立たむことかたく、赤人は人麿が下(しも)に立たむことかたくなむありける。
ならの帝の御歌
龍田川紅葉乱れて流るめりわたらば錦なかや絶えなむ
人麿
梅の花それとも見えず久方の天霧(あまぎ)る雪のなべて降れれば
ほのぼのとあかしの浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ
赤人
春の野にすみれ摘(つ)みにと来(こ)し我そ野をなつかしみ一夜(ひとよ)寝にける
和歌の浦に潮満ちくれば潟(かた)をなみ芦べをさして鶴(たづ)鳴きわたる
この人々をおきて、またすぐれたる人も、呉竹のよよに聞(きこ)え、片糸のよりよりに絶えずぞありける。これよりさきの歌を集めてなむ、『万葉集(まんえふしふ)』と名づけられたりける。
ここに、古(いにしえ)のことをも、歌の心をも知れる人、わづかに一人(ひとり)二人(ふたり)なりき。しかあれど、これかれ得(え)たる所、得ぬ所、互(たがひ)になむある。かの御時よりこのかた、年は百年(ももとせ)余り、世は十(と)つぎになむなりにける。古のことをも、歌をも知れる人、よむ人多からず。いまこのことをいふに、官位(つかさくらゐ)高き人をばたやすきやうなれば入(い)れず。
そのほかに、近き世にその名聞えたる人は、すなはち、僧正遍照 (そうじやうへんぜう)は、歌のさまは得たれども、まことすくなし。たとへば、絵にかける女(をうな)を見て、いたづらに心を動かすがごとし。
あさみどり糸よりかけて白露を玉にもぬける春の柳か
蓮葉(はちすば)の濁りに染(し)まぬ心もてなにかは露を玉とあざむく
嵯峨野にて馬より落ちてよめる
名にめでて折れるばかりぞ女郎花(をみなへし)我おちにきと人にかたるな
在原業平 (ありはらのなりひら)は、その心余りて、詞(ことば)たらず。しぼめる花の色なくて匂(にほ)ひ残れるがごとし。
月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして
大方(おほかた)は月をもめでじこれぞこの積(つも)れば人の老(おい)となるもの
寝ぬる夜(よ)の夢をはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさるかな
文屋康秀 (ふんやのやすひで)は、詞(ことば)たくみにて、そのさま身におはず。いはば、商人(あきひと)のよき衣(きぬ)着たらむがごとし。
吹(ふ)くからに野辺(のべ)の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ
深草帝の御忌(おほんいみ)に
草深き霞の谷に影かくし照る日のくれし今日にやはあらぬ
宇治山の僧喜撰 (きせん)は、詞(ことば)かすかにして、始め終りたしかならず。いはば、秋の月を見るに暁(あかつき)の雲にあへるがごとし。
わが庵(いほ)は都の辰巳(たつみ)しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり
よめる歌多く聞えねば、かれこれをかよはして、よく知らず。
小野小町 (おののこまち)は、古の衣通姫(そとほりひめ)の流(りう)なり。あはれなるやうにて、つよからず。いはば、よき女(をうな)のなやめるところあるに似たり。つよからぬは女(をうな)の歌なればなるべし。
思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける
わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘(さそ)ふ水あらばいなむとぞ思ふ
衣通姫の歌
わが背子(せこ)が来(く)べき宵(よひ)なりささがにの蜘蛛(くも)のふるまひかねてしるしも
大友黒主(おほとものくろぬし)は、そのさまいやし。いはば、薪(たきぎ)負(お)へる山人の花の蔭(かげ)に休めるがごとし。
思ひいでて恋しきときは初雁(はつかり)のなきて渡ると人は知らずや
鏡山いざたちよりて見てゆかむ年経(へ)ぬる身は老いやしぬると
このほかの人々、その名聞ゆる、野辺(のべ)に生(お)ふる葛(かづら)の這(は)ひひろごり、林に繁(しげ)き木(こ)の葉のごとくに多かれど、歌とのみ思ひて、そのさま知らぬなるべし。