心配され続けてきた心配性のあなたへ

 

あなたは次のような口癖をもっておられませんか?

 

~になったら、どうしよう。

 

どうしよう。どうしよう。

 

これでいいのかな?

 

本当に大丈夫かな?

 

なんか怖い、なんか心配

 

口癖ではなくても、

 

このような言葉を常に、幾度となく頭の中で自分に投げかけていませんか?

 

うんうん。と、うなずかれているあなたへ

この言葉が届き、さらに生きやすくなりますように。

ほっとする事を願って、祈って、信じて。

 

 

あなたは、子供の頃、これらの言葉を掛けられた経験はありませんか?

 

「ハンカチ持った?宿題はやったの?」

 

「車に轢かれないように気を付けて。」

 

「夜道は、変質者の男性に襲われかねないから、気をつけてね。」

 

「友達は、あなたを裏切るかもしれないから、いない方がいいよ」

 

まるで、カセットテープのように、

 

「大丈夫?大丈夫?あなた本当に大丈夫なの?」

 

~かをしたい、~がほしいと親に話すと、

 

「あれは危険だよ。心配だよ。」

 

もしそうなら、あなたのご家庭に一人または複数人、

 

心配性の方がいらしゃったのではありませんか?

 

このような言葉を幼いころから、長年に渡り、浴びていたら、

 

そのうち自分も心配性になるのは、無理もないでしょう。

 

最初のうちは、

 

心配されるのが、嬉しい。

 

私に関心を示してくれて、慣れていないからなんだか、照れくさくも感じる。

 

愛情をくれている感覚を受け取るかもしれません。

 

「愛=心配されること」、という定義付けをして、

 

親の愛情表現だと受け取るのも無理ないことです。。

 

さみしさを感じていた時や、心に空虚を感じている時に、

 

それを埋めてくれた、数々の心配の言葉。

 

胸にしみたことで

 

もっと‶心配″をねだる。

 

もっと心配されたい、愛がほしいと、

 

ひそかに、期待を抱いたとしてもおかしくありません。

 

そんな中、相変わらず「大丈夫?」が続く。

 

心境が少しずつ変化する。

 

あなたは、こんなメッセージを受け取るようになったのではないでしょうか?

 

・そんなに心配にさせてしまう自分は、できない子ダメな子なんだ

 

・なんか私間違ってるかもしれない、なんか不安                                                 

 

・私は、信頼されない、だらしのない人間なんだ

 

・もしかしたら、今日車に轢かれてしまうかもしれない

 

・もしかしたら、本当に変な男の人に襲われるかもしれない

 

・いつ、私は友達に裏切られるのだろう

 

心配が嬉しさから、一転、

 

いつしか不安を呼び、自己否定、被害妄想へと変貌を遂げる。

 

なんでもない日常生活でさえ、体が緊張するのを感じる。
 

そして、どうでしょう。このように考え始めませんでしたか。

 

心配されないように、しっかりしなきゃ。

 

失望されないように、いい子にしなきゃ。

 

もっともっと、頑張らなきゃ。

 

はやく親を安心させなきゃ。

 

そうして、力の限り本気でものごとに取り組む。

 

真面目に、一直線に、

 

猪突猛進する。

 

テストの勉強をしっかりやろう。

 

先生の言うことをしっかり聞こう。

 

漠然といろんなことを頑張ることで、

 

親から心配されることが、なくなるように心がける。

 

危ない目に遭わないように、気を付ける。

 

常に、警戒して、誰かに付きまとわれてないか、振り返りながら、登下校する。

 

思うように、改善することが出来ず、

 

自分を責め、

 

心配という名の自己否定の言葉を受け入れ、

 

自分を責める。

 

どこにも安堵がない。

 

つらい、苦しい、疲労困憊。

 

出口の見えない地中の穴を彷徨う如くの苦しみでしょう。

 

そして、成長につれて、少なくとも3つの苦しみが派生すると思われます。

 

1つ目、エネルギーが弱くなる現象による苦しみです。

 

あなたは月日とともに、どんどん自信がなくなっていったのではありませんか?

 

どんどんエネルギーが下がって、動けなくなったのではありませんか?

 

実際に、心配されるような出来事が現実化したのではありませんか?
 

例えば、病気、事故、学校や仕事に行けなくなるような、

 

望まないトラブルに見舞われたのではないですか?

 

※病気、事故、学校や仕事に行けなくなるような望まないトラブルの原因が、

すべて、心配性の親の影響といっているのではありませんので注意。

 

 

ここで余談なのですが、私の友達の話です。

 

両親と祖母の三人が心配性というご家庭で育った友達は、

 

実際に社会人で慢性疲労症候群という病気を診断されました。

 

過去には、中学生では椎間板ヘルニアという腰痛の怪我、

 

高校生の時には車にはねられる交通事故、

 

小学校の時には性的いたずらに遭った経験を持っているのです。

 

たまたまでしょうか。

 

そして、私の知り合いのカウンセラー業の先生は、

 

親が心配性の子供は、

 

次第にエネルギーが減って、引きこもり、ニートになっているケースが多く

 

さらに、実際に病気になったり、事故に遭ってしまい、

 

現実に本当に心配されることになるケースが多くあるといいます。

 

おそらく、親自身も「心配することが愛」という定義になっているでしょう。

 

とカウンセリングの現場を通して実感されています。

 

愛情表現が知らぬ間に、子供を痛めつけている、なんて悲しい話でしょうか。

 

2つ目は、自己否定感に苛まれることによる苦しみです。

 

あなたが頑張った結果、3つの結果に分かれるでしょう。

 

見事忘れ物がなく、優等生になり、親から心配されなくなる。

 

見事忘れ物がなく、優等生になったが、親から心配され続ける。

 

忘れ物がなくならず、優等生になれず、親から心配され続ける。

 

※急に親が変化し心配をされなくなることは可能性が低いので除外しています。

 

見事に忘れ物がなく、優等生になったのなら、親の変化を検証することが出来ます。

 

自分のできることはしっかりした上で、親がどうであれ、もう頑張る必要はないはずです。

 

でも、いつまでたっても、忘れ物がなくならず、優等生になれない時、

いつまででも、自分を責め、自分を追い込んで成果を上げようとします。

 

でもいったん冷静になってみましょう。

 

心配されるのは本当にあなたのせいなのでしょうか。

 

あなたが完璧に忘れ物がなくなったら

 

いい子になったら、優等生になったら

 

信じてもらえたのでしょうか。

 

確証はありません。

 

確かにあなたは頑張った。

 

でも、完璧になれなかった。

 

優等生になれなかった。

 

だから、証明できなかった。

 

そのこと、そのものが悔しくて、自分を責める。

 

親を安心させれない、自分を責める。

 

親を不幸にしている、自分を責める。

 

そんな自分を責めないでください。

 

あなたは、よく頑張ったじゃないですか。

 

よく考えてみてください。

 

あなたと同じ出来の子は、みな心配されるのでしょうか。

 

そうとは限らないのではないでしょうか。

 

心配される理由はあなたのせいではありません。

 

あなたが、忘れ物がなくなって優等生になっても、

 

でも親自身の不安がなくならなければ、

 

あなたを心配し続けたかもしれません。

 

真相はわかりません。

 

でもあなたは、自分の責任として受け入れ、

 

改善しようと努めたという事実がそこにあります。

 

最後の3つ目は、長期に及ぶ葛藤です。

 

心配されて、それを愛だと感じた子供は葛藤します。

 

心配されて愛を感じたい。

 

のと、

 

もう心配される情けない弱いできない自分と決別したい。

 

心配されて、親に構ってもらいたい。

 

のと、

 

そろそろ立派になって親に安心させたい、

 

対極の狭間で悩む。

 

だた、穏やかに、安心して、幸せに暮らしたいのに。

 

この葛藤に長年苛まれる。

 

負のエネルギーで不幸に見舞われる。

 

自分を責める。

 

心配が産んだであろう数々の苦しみ。

 

マグマのような憤りを感じる。

 

こんな、長期の葛藤によく耐えましたね。

 

通常をはるかに凌駕しています。

 

そもそもこの地球上の歴史に完璧な安心なんて、なかった。

 

野生動物は常に、危険と隣り合わせ。

 

心配するのもわかる。

 

心配することで、メリットもある。

 

用意周到に準備をすることができる。

 

ある意味、自然なことかもしれない。

 

本能的な戦略かもしれない。

 

親自身も、そのまた親から心配の言葉を浴びていた被害者。

 

原因を探すとすれば、はるか昔のご先祖様になるかもしれません。

 

原因なんて、今となってはどうでもいいのです。

 

「心配をされたってだけでしょ、むしろ感謝しなよ」

 

そんな心外な意見もあるでしょう。

 

そんな意見はほおっておいて、

 

私はあなたを称えたいのです。

 

自分のことを全くと言っていいほど知らないあなたに伝えたいのです。

 

だから知ってください。

 

あなた自身を。

 

この一件で自分の何が理解できたのかを。

 

心配性の家庭環境で過ごしたあなた自身が物語っていることを。

 

あなたが磨き上げたものがあることを。

 

それを知るには、あなたが、とった行動に注目をしましょう。

 

心配され、エネルギーが低下して、疲れ果ててもなお、

 

親に安心してもらうために自分が努力してきたではありませんか。

 

その行動は物語っているのです。あなたが実は、

 

「優しさ」

 

「純粋さ」

 

「寛容さ」

 

「勤勉さ」
 

「頑張り屋」

 

を持つ人間だということを。

 

こんなに素敵な人間なんです。

 

愛されるためだけだったら、仮病を使えばよかった。

 

そうはせず、成果を出して親を安心させようとした。

 

もう、そんなことは聞きたくない。やめてと言えばよかった。

 

それもせず、自分に責任を引き受けた。

 

本当は愛されたいと願いつつ、自分でなんとかしようと頑張った。

 

分かりやすくはないですが、これもまた、あなたが親に対して示した一種の愛だったのはありませんか。

 

あなたは、自覚していいのです。

 

自分が、純粋な愛で人に接する人格をもつ一面があるのだと。

 

自分が好きな人のために、周りの人のために、

 

自分を変えようとする誠実さと愛を持った人間だということを。

 

あなたが気に病むほど、そんなに悪い人間じゃない。

 

むしろ、真面目すぎるほどに、相手を受け入れようとする思いが柔軟で、

 

それは水のごとく、柔軟です。

 

超誠実なあなたの内面が浮き彫りになったのです。

 

今日からは誇ってください。

 

今日からは自分に愛を捧げましょう。

 

今日からは、自分にカセットテープのごとく言い聞かすのです。

 

なんか大丈夫かな?ではなく、

 

なにがあっても大丈夫!と。

 

あなたには、それを言う資格が大いにあります。

 

ずっと、数々の問題に真正面から向き合う、イノシシのような、真面目さがあるのですから。

 

ずっと、自分を変えようと、水のような柔軟さを持っているのですから。

 

ずっと、問題を解決することに奔走し、クタクタになるまで悩み続けた。

 

それほどの誠実さを持っているのですから。

 

あなたは、責任転嫁を苦手とするゆえに、

 

あなたは水のような柔軟な人間にあなた自身を仕立て上げた。

 

もう大丈夫。あなたは柔軟な人間なのですから。

 

愛を込めて fumi