透明人間に憧れた愛情あるあなたへ

 

あなたは、自分のことを「恥」だと思ったことはありませんか?

 

それによって、自分の為すことやること、考えることすべてが、

「価値がない」、「不完全」と、思ってしまったご経験はないでしょうか?

 

あなたは、どうでしょうか。

 

うんうん。と、うなずかれているあなたへ

この言葉が届き、さらに生きやすくなりますように。

ほっとする事を願って、祈って、信じて。

 

何かの出来事によって、

 

あなたは幼少期に「恥」の概念を植え付けられてしまった。

 

それは、あなたのせいではありません。

 

これだけは、はっきりしています。

 

あなたのせいでは、ありません。

 

「恥」の感覚とはおさらばして生きていていいのです。

 

まず、生きているだけで、恥ずかしいと思うことが、

 

行き過ぎていると知ってください。

 

やめてもいいのです。

 

もういいでしょう。

 

そろそろ、自分を「恥」るのは。

 

もう、いい加減、十分でしょう。

 

でも……、だって……、何かいいたげですね?

 

もう少しお付き合いください。

 

あなたのこころに飛び交うのは、

 

「生きている価値がない」

 

「おうちで休みたい」

 

「死にたい」

 

というような会話ではありませんか。

 

日常から、そんな言葉に囲まれてたのでは、

 

さぞかし、苦しかったでしょう。

 

誰にも話せず、逃げ場はなく、

 

一人両手いっぱいの苦悩と

 

ずっしりと重い不安を背中に背負ってきたのでは、ないでしょうか。

 

よくぞ、ここまで耐えまてきましたね。

 

とっくに限界を超えていたのに。

 

本当によく、ここまで耐えましたね。

 

「恥」を感じないように、

 

あなたがとった作戦は素晴らしいものだったと思います。

 

名付けて、「映画を観漁って、自分を忘れる作戦」

 

受信に徹することで、他人色に染まれる。

 

自分ではないもの=すばらしいもの

 

になった感覚を得て、

 

自己否定を忘れることで、落ち着く。

 

こうして少しの間を凌ぐ。

 

映画を観て観て観て、感情移入することで自分を忘れる。

 

これは感受性が高いゆえに、できることです。

 

だから映画を深く味わうことができたのです。

 

登場人物の気持ちに深く共感して、

 

涙をながしたり、そこから学びにできたのです。

 

それは、才能です。

 

現実逃避に、映画を観漁って、耐え凌いだ。

 

それでも容赦なく、「恥」が背後に迫る。

 

あなたには選択権を握っているとお伝えしたいです。

 

あなたが、あなた自身をを傷つけているのを、

 

私は見ていられません。

 

そろそろタイミングと思ってほしいのです。

 

自分を切り捨てなかった自分を誇ってください。

 

何でもないのに、恥ずかしい時も。

 

力強くサッカーボールをシュートしたはずなのに、

 

空振りした時も。

 

発表で噛み噛みでうまく話せず、声も裏返ってしまった時も。

 

社会人だというのに、トイレに間に合わず、漏らしてしまった時も。

 

遅刻しそうになり、寝ぐせ付きで会社に行った時も。

 

生き続けたじゃないですか。

 

耳が遠くて、何度も聞き間違えをして、

 

笑われた時も、

 

教室で一人歌わされて、出だしも分からず、

 

リズムも取れず、音程外しまくりで歌って、

 

周囲から音痴と心無い言葉を吐かれ、

 

冷やかな目で見られた時も

 

生き続けたじゃないですか。

 

氣力が尽き、なかなか掃除出来ないとき、

 

上司が住み込み部屋に入って、散らかり具合を叱られ、

 

片付けができない自分を責めて、

 

そんなだらしのない自分を恥じた時でも

 

それでも、生き続けたじゃないですか。

 

 

遺憾にも、早いうちから性的被害に遭い、

 

自分を汚く思ってしまった時も、生き続けたじゃないですか。

 

弱いものいじめをしてしまい、

 

自分はなんて情けない人間なんだと自分を恥じても、

 

謝罪して、生き続けたじゃないですか。

 

社会の常識から外れて、常識を盾にできなくなった時、

 

自分を守るものがなく、まるで裸で過ごしているように感じる時でも。

 

そんな状況の中、あなたは、一線を越えずに生きている。

 

恥と死、それは背中合わせのよう。背中に感じるひんやりとした得体のしれない感覚。

 

死はお隣さんのよう。いつも、視界の隅にいる。

 

そして、隣の芝生は青いなぁと思う。

 

透明人間になることを望むくらいに、

 

自分の存在を否定してきた。

 

透明人間になることで、

 

安全地帯に行きたかった。

 

それほどまでに、現実社会から追い込まれてきたというのに、

 

今、あなたはこうして生きている。

 

こんな言葉があります。

 

人生を愛するということは、人生を切り捨てないこと。

 

人生のリセットボタンを押さずに生きれたのは、

 

そんな恥ずかしい自分を切り捨てなかったということです。

 

」がなければ、自分と人生を切り捨ててしまっていたでしょう。

 

その「」を、ただ自覚しましょう。

 

私はあなたを、恥じるどころか誇りに思うのです。

 

そして堂々並んで歩きたい、理想のパートナーとして。

 

愛を込めて、fumi