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2月2日は弟の命日でした。

昨日はわたしが定期的に受けているコーチングセッションがあり

その後に急ぎの買い物に行ったりしていたら

久々に人混みで出たせいか思っていた以上に疲れて寝てしまい、1日遅れに。

 

2020年2月2日 令和2年2月2日の2がずらっと並んだ日

弟は突然旅立ちました。

「仕事に来ない、連絡つかない」という連絡を受けてからの

何とも言えない感覚が忘れられません。

不安、心配、そんなことないという気持ち、

「(地球で)やりきっちゃったかな・・・」という思い

なんとも複雑というか現実を受け止められないというか

 

お互い実家を離れてからかなり経っていたので

顔を合わせることも年に1、2回

どちらもマメな性格ではないのでこまめに連絡取り合うなんてこともなかったけど

決して仲が悪いなんてことはなく。

末っ子で親戚の中でも一番年下の方だった弟はみんなに可愛がられイジられてたけど

私にとっては弟だけど、冷静で周りをよく見ていて頼りになる存在でした。

 

弟の家を片付けに行ったら、音楽が大好きだった彼らしくCDやレコードや楽器がたくさん

バンドやったり好きなことしてたんだな・・と思い嬉しい気持ちになったり

全く知らなかった姿が見えたり

もっと色々話しとけば良かったなと思ったり。

そういえば、「なんかオススメある?」とか弟に時々聞いてたなとか思い出したりしました

 

あまりに突然で「なんでわたしが貴方のこと見送らなきゃいけないの?」と怒りが湧いたりもしたけど、

「仕方ないじゃん、俺もまさかと思ったけどさ」とか言い返されそうだな・・

 

いなくなったことは受け入れているけど、

残された人はその喪失感というかなんとも言えない寂しさがなくなるわけではなく

その思いを抱いて生きていくことに慣れていくんだろうなと思いました。

心理学の師匠が

「大切な人を亡くした時、その死にどんな意味があるか、何を受け取るかは残された人が決めること」と言っていたことを思い出します。

 

でも「まだ若いのに、可哀想」といわれるのはすごく嫌で

「あいつ、可哀想な人生送ってないし。結構楽しく頑張って生きてたし」と

言い返したくなる姉であります。

 

亡くなった直後からコロナ禍で離れて生活している家族にもなかなか会えない状態だったのはいいのか悪いのかと思ったりもしたけどどちらにしても変わらなかった。

弟のことはふとした時に思い出すことが多く、勝手にぶつぶつ話しかけたり

怪しめなことをしてます^^

 

昨日受けたセッションで過去の振り返りをしたのも偶然じゃないのかな。

感傷的になるわけではなく、なんとなく2月2日は弟と一緒に過ごす感じになってます。

 

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。