映画『すずめの戸締まり』ネタバレ・考察!ラストに繋がる伏線も解説していきます。

 

冒頭の映像がラストに繋がる伏線

幼い鈴芽が常世を彷徨っているシーンから始まる。

母の名を呼び続けた鈴芽は、ついに“母と思わしき人物”と巡り会う。

この光景は成長した鈴芽の記憶に刻まれており、劇中で何度も登場する。

しかし、“母と思わしき人物”は、成長した鈴芽だった。

幼い鈴芽は未来の自分を母だと思い込んでいたのだ。

さらに、常世で鈴芽が着ていたワンピースは、物語序盤から草太が着ていた白いロングシャツである。

実は冒頭数分のシーンだけで、ラストに繋がる伏線があったのです。

 

要石を抜いてしまった

女子高生の鈴芽はある日、宗像草太という不思議な美青年と出会います。

廃墟に向かった青年が気になり後を追うと、寂れたホテルの中庭に1つの扉が立っていました。

扉をあけるとそこにはすべての時間が混ざり合ったような空が広がっています。

鈴芽が何度も夢に見てきた景色です。

それは死者が行くという常世の世界でした。

その扉の前に刺さっていた「石」を抜くと、石は猫の姿になって逃げていきます。

しかし、その石は地震の元凶である「ミミズ」を抑えていたのです。

地震を止めるためにはもう一度要石を刺す必要がありました。

しかしもともと要石であった猫「ダイジン」は、閉じ師である草太の魂を椅子に閉じ込め、船に乗って逃げ出してしまいます。

草太に会った瞬間、鈴芽は「どこかで会ったことがある気がする」と感じ、彼に強く惹かれます。

この感覚がラストの伏線になっていました。

 

鈴芽と環

鈴芽は幼いころに母を亡くしており、それ以降、叔母の環とふたりで暮らしていました。

環は鈴芽の育ての親だが、“本当の親”ではありません。

鈴芽と環はお互いがその部分を意識しており、互いに気を遣って生活していました。

環にとって鈴芽は、自分から可能性を奪った憎むべき相手であると同時に、生きていくための希望でした。

子どものいない環にとって、鈴芽と過ごした12年間こそ、彼女が生きてきた証!

セリフで語られるシーンは少ないが、絶妙なところで“家族”を成り立たせているふたりの距離感が全編を通して感じられます。

 

ダイジンの隠された役割

ダイジンは幼い鈴芽とシンクロするキャラクターだった。

鈴芽との関係は、鈴芽が発した「うちの子になる?」の一言から始まりました。

この言葉は、環が鈴芽を引き取ることに決めた際の言葉と一緒なのです。

その後、ダイジンは鈴芽から草太を奪うが、幼い鈴芽も環から婚期や自由を奪ってしまった。

極めつけは、映画中盤の互いを拒絶するシーンだ。

鈴芽は皇居の地下にて、草太を要石に変えたダイジンを、強い言葉で拒絶する。

 

幼い鈴芽がしたこと

サダイジンの影響があったようだが、鈴芽を拒絶してしまう環。

ダイジンと幼い鈴芽の共通点は、どこまでも無邪気で、そこに悪意がない点である。

幼い鈴芽も無意識に、そして無邪気に、環から大切なものを奪っていたのでしょう。

しかし、忘れてはならないのは、「うちの子になる?」と発したのは、環でした。

鈴芽は物語の中で、環との関係と、ダイジンとの関係をリンクさせているようです。

子どもは、時に残酷で、時に理不尽なものである。

 

行方不明になっていた椅子

草太が変身させられた3本脚の椅子は、鈴芽の母の形見だった。

実は鈴芽が幼いころ、椅子は津波に流されてしまってるのです

そして、死者の世界である常世へと流れ着いていました。

常世は過去と未来が同時に存在している場所!

映画のラストで、成長した鈴芽は、常世に漂着していた椅子を発見し、幼い自分自身に渡す。

鈴芽は覚えていなかったが、失くした椅子は、未来の鈴芽によって発見されていたのです

ここで受け渡した三本脚の椅子は鈴芽の心の傷の象徴でした。

新海誠監督は四本脚になるのではなく「三本脚でもきっと立てる」ことを描きたかったと語っています。

 

ラストシーン

鈴芽は駅のホームで「必ず逢いに行く」と言った草太とハグをして別れます。

そして環と共に、助けてくれた人たちに会いに行きながら宮崎に帰っていきました。

冬になった頃、いつもの暮らしをしている鈴芽の元に、草太は会いにきたのでした。