〈2018年のことを綴っています〉


テセントリクの副作用で

神経障害が起こり

体が不自由になった夫。


感覚神経障害だったため

しびれ、痛み、

触った感覚などが分かりにくい

などの症状が出ていました。


先生が回診に来られた時、

夫に目をつぶらせて、

先生が足の指を1本ずつつまみ、

どの指か尋ねられていました。

夫はほとんどどの指か

わからない状態でした。

ひどい時は

つままれていることも

分からないこともありました。

そんな光景を見ると

一気に不安が

押し寄せてきましたが

夫の前では

努めて明るく振る舞い、

「大丈夫よ!

この前より進歩してる!」

と励ましていました。

顔で笑って心で泣いていました。


私は毎週土日は

大学病院に行き

一日中夫に付き添いました。

日曜日、病院を離れる時は

「どうか次に会う時は

少しでも良くなっていますように」

と祈るような気持ちで

大学病院をあとにしていました。


そんな私の気持ちを

全然知らなかったのでしょう。

この頃の元デリ孃葵へのメールは

「葵さんに似た看護師さんが夜勤です」

「葵さんに逢えるように頑張らないとね」

「元気になって葵さんを抱きたいです」

等々…

そして相変わらず

葵への

写真、動画のおねだりメールは

欠かさずでした。


そんなことも知らず

私は

夫の回復を願いながら

毎日を過ごしていました。

夫のことばかり考えてしまって、

あの頃は仕事のミスも多くなり、

情けなくて

泣いてばかりの

毎日を過ごしていました。


片道2時間以上かけて

土日に大学病院に通うことは

全然大変だとも思いませんでした。

本当に無我夢中でした。


「無償の愛」…

その時はそんな意識も

もちろんありませんでしたが

今思えばそうだったと思います。

見返りなんて

微塵も求めていませんでした。

そんな私の気持ちは

見事に裏切られていたのです。


実は私の実家はこの大学病院の

近くにあり、

土日以外の日は私の母が毎日

夫の世話をしに病院に

行ってくれていたのです。

夫は

そんな私の母も裏切ったと

言ってもいいと思います。


夫のしていたことは

やはり残念でなりません。

「何で?」という言葉しか

でてきません。

「何で?」と聞いたところで

何も答えは返ってきません。

もどかしさしかありません。

この気持ちを

どうにか落ち着かせたいのに

その術がみつかりません。