街を見下ろす事が増えたのだが、
意外と
大阪という街は狭く、こじんまりとしている。
たまーに高いとこに登って見ると、
うわーうわー!
となり舞い上がって気づかないけど
頻度が増え、慣れるとなんか小さい。
そんでもってせせこましく家が、ビルが並び人が住んでいる。街がこんなに狭いのであれば、世界とゆーか、地球もまぁまぁ狭いのかも知れない。
この街の中で、人は何を目指して生きてるのだろう。
成功だとか失敗だとか、お金だとか、成長だとか、なんもかんもが小さく見える。
ここで心が動いて感じるものは価値観。
こっからみたら誰も偉くないし僕も偉くないし凄くないし肩書も見えないし、誰も見えないし、顔色すら分からんし、何もない。あるけど、ない。
ただこれを眺めて何を考えようと思うか。
色んなことに思い詰めた時は高いとこ登るとくだらなく感じるかも知れない。
そう考えると、山とか、エベレストとかすげーんだろうと思う。
まぁ、街を見下ろしているから、街に関する価値観や喧騒やらなんだかんだすべて小さく見えて下らないと思えるのかもしれないが。
ある曲で、
鳥になって見下ろす心持ち続けたい
とあるが、こーゆー事なのかも知れない。
何にも縋らない、そんな大きな心で、
物を考えないようにしたい。
きっと最近の世界は自分に必要ないことを考え過ぎだ。
断捨離とゆーわけではない。捨てて悦に浸るのもまた違う。執着は無くなるだろうけど。
とりあえず
麦茶おいしいな。