ティーンエイジャーの時期の私の関心。

プロレス、ヘヴィメタル、沢山の偉大な冒険家の書籍を読むこと…。そして、ブルース・リーであった。

先日、誕生日(7月4日)を迎えた私は罪深い年齢に達した。憧れ続けた李師父が亡くなられた時の年齢に到達したのだ。

私とブルース・リーの出会いはプロレスよりも少し後だった。

中学生一年生の時にテレビで放送していた「酔拳」を観賞したのが初めてである。
え?と思わたあなたは正しい。
それまで、香港映画と全く関わりがない人生を歩んで来た私は、テレビ画面の中で奇妙かつ凄まじい動きをするジャッキー・チェンをブルース・リーと勝手に思い込んでいたのだ。

しかし、「酔拳」の衝撃は凄まじく、以後香港映画にどっぷりと浸かっていくこととなる。

ブルース・リー、ジャッキー・チェン、ジェット・リー、サモ・ハン、ユン・ピョウは勿論のこと、当時は今ほど有名でなかったドニー・イェンや時代を遡りジミー・ウォング、リュー・チャーフィーといったアクションスターが出演している作品はレンタルビデオ店で片っ端からレンタルして観賞した。

レンタルビデオ店が半額セールの時は観る時間がないのに大量にレンタルし徹夜で観賞したものである。

レンタルビデオ店にある、香港アクション映画を一通り見終えると、西洋のアクションスターにも注目していった。誰もが知っているアーノルド・シュワルツェネッガーやシルベスター・スタローン等よりはややマイナーな存在のドルフ・ラングレンやジャン・クロード・ヴァン・ダム。彼らは、バックボーンとして空手の達人であることも私にとって魅力的だった。

2004年、私が高校3年生の時分に彗星の如く出現したタイのトニー・ジャーからもまた絶大なインパクトを与えられた。

話が、ブルース・リーから逸れてしまったが、そんな多数のアクションスターの中でもブルース・リーはとにかく特別な存在だった。

続く。

※実家の私の部屋に大切に保管されている多数の書籍の一部。