昨日のブログは、もっと書きたい事が有ったのですが、眠たくなってしまったので取り敢えず途中でアップしてしまいました。
今日も全部を書けるかどうか解りませんが、余談を交えてブログを書きたいと思います。
私は中学3年生の時に読んだ「岩宿の発見」という本を読んで、まだ土器も無かった時代に石を道具にして狩りをしたり、生活に必要な物を作ったりしていた人達がいたという事を知って、頭の中でいろんな空想を想い抱きました。
どんな所に住んでいたのだろう?
洞窟に住んでいたのかな?
でも、洞窟なんてそんなに沢山ある訳ないし、大勢の人が住める筈ないと思うので、きっと簡単なテントのような物を作ってそこで子供を育てたり、雨風を凌いでいたのではないかな?と想像していました。
今回、学芸員さんに中学生の頃の疑問を聞きましたら、例えば、雨風が凌げるような岩の窪みとか崖の縁に何かで屋根のような物を作って暮らしたり、地面に柱を埋めないようなテントのような物を作って住んでいたのではないかと考えているみたいです。
当時は今より相当気温が低かったので、おそらく一日中、火を絶やさないように焚き火をしていたのではないかと考えられているそうです。
本を読んだ中学生の時の私は、宇宙の神秘にも夢を膨らませましたが、大昔の人々の生活にも想像するだけで、ワクワクして言葉は、どんな言葉だったのだろう?
その土地へ住み着いた人達は、そこで定着してあまり遠くへ行かないで暮らしていたのかなあ?とか、人間だから流行とか有ったのかなあ?とか、次々と知りたい事が中学生だった私の頭の中を巡りました。
石を割って尖っている部分を作ったり、鋭い刃を作ったりして矢じりや、槍の先にしたり、獲物を獲得した後の皮を剥いだり、肉を切ったりする道具にしたのですが、同じ石でも思ったように鋭い刃物のような割れ方をする石ばかりではないので、それに適した石が有るんですね。
黒曜石という石は割るとガラスのような切り口になるのですが、残念ながら岩宿の周りには無いのです。
黒曜石が取れる場所は日本でも限られた場所にしかないので、遠くへ行って手に入れて来る訳ですが、そんな場所の情報をどうやって知る事ができたのか、地図も乗り物もない時代に、そこまで探しに行って、手に入れる事が出来ても、また家族の待っている所へ迷わずに帰って来る事が出来たのは、どうやっていたのだろう?と思います。
それにその産地の人々と共通の言語が無ければ、侵略者と見なされて争いになるでしょうね。
お金が無い時代なので物々交換をして石を手に入れていたのだと思いますが、どちらにしても共通の言葉が無ければ、意思の疎通が出来なくて争いが起きると思うのですが、どうだったんでしょう?
今でも、考えれば考えるほど知りたい事がいっぱいです。
でも、この年齢になって、岩宿に行って新たに思った事が有りました。
ナウマン象も当時の人々は狩りで捕まえて、食料にしたらしいのですが、あんなに巨大な生き物を石だけで倒すという事は、普通は考えられないのですが、例えば、私が一人で象を捕まえようとしても不可能なのは当然です。
友だちや親戚と何人かで同じようにやっても無理だと思います。
でも、大昔の人達は、それでも生きていく為、家族を養う為にナウマン象でも捕まえて食料にしていた訳ですから、余程大勢の人が力を合わせて捕まえていたのだろうと思います。
やはり、人間は一人では大した事は出来なくて、大勢の人の力を合わせないと、出来ない事が沢山有るんだろうなと思います。
岩宿遺跡の後、学芸員さんに教えて貰って古墳を見に行きました。
私は今まで沢山の古墳を見てきましたが、今回、見てきた古墳は過去最高に良かった古墳でした。
しかし、そんな立派な古墳を作るにあたって、どれだけの労働力が必要だったのか、一握りの権力者の力を誇示する為に物凄い数の人々が長期間に渡ってお墓を作っていたのを見ると、その時代になると豪族や力を持った人達が存在するようになってきて、民衆を労働力として使う時代に変化していったんですね。
これは、時代の流れで人間には社会を築いていく上で避けられない事だったのだと思いますが、旧石器時代に皆が力を合わせて獲物を捕まえて、仲間の皆が平等に分け合って暮らして来た時代も有りました。
社会を築いていくのにリーダーになる人が必要なのも当然ですが、一人では何もできない事があるのも事実です。
今回の岩宿で勉強になったのは、あの巨体なナウマン象を見て、旧石器時代に一緒に生存していた時代があったという事に感銘を受けました。
今回のブログは、余談でしたが、また後で後編に続きます。