僕が卒業した高校は県内有数の進学校でした。ちなみにタモさんと同じ高校です。
1年時から○○大学○○大学と耳にタコが出来るほど言われ、3年時にはもう絶望的。耳から血が出るのではないかというくらい言われました。
実際、僕の耳は左から入った情報はすぐに右から抜けるような仕組みとなっていたため、血は出さずに済みました。
でも担任から授業中に言われた言葉は今でも忘れません。
「今年は○○大学に○人合格させることが鍵となるだろう。いいか、大人の社会はギブ・アンド・テイクだ。俺はお前たちに勉強を教えてあげている。だからお前たちは成績を上げて俺の株を上げろ」
「ハッ?何ば言いようとや?」って思いました。
当時17歳の僕はムカッときて睨み返しました。「絶対目逸らせてたまるかクソ」って。
向こうが目を逸らしたのでふっと周りを見渡すと、皆、真剣な顔をして聞いているではないか!ウン、ウンと頷いている・・・。
「おい、ちょっと待って!!目を覚ませんかいっ!大体大人が子どもにものを教えるということって契約と?教育ってなんや?そもそもお前、給料もらいよろうが馬鹿ちんが!」
全ての原点は、あの憂鬱なそして威圧的な空気がこもる教室の中で感じた、反抗心からだったのかもしれません。
僕は部活引退後、教師になることを志し始めました。
何の教科等決めておらず、取りあえず大学に行かなければと初めて気づきました。
3年間置き去りにしていた勉強を始めましたが、センター試験まであと3ヶ月。僕は高校1年生の1学期の内容から始めました。1年間浪人しようと決めていました。むしろ親も「1年くらい真剣に勉強せんか馬鹿たれ」といった感じで許してくれました。
現役時代に受けたセンター試験は散々たるものでした。
結局私立大学も受けず、ラグビーだけすればいい大阪教育大学の体育学科を受けました。
入試本番前日、学ランを着て、初めて訪れた大阪に興奮。
真っ先に「なんばグランド花月」に行き、平日の昼間におばちゃん達の間に座り、オール阪神巨人の漫才をゲラゲラ見て笑っていたことが今では懐かしく思います。
後期試験も受けず、周りの友達が大学入学、後期試験の準備をしていた3月の春休み。僕は一人、博多駅付近に位置する大手予備校「代々木ゼミナール」の申込みに向かいました・・・。