夢 記録 | 日々是…

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いわゆる私の独り言的な

多分ここ2日位

中学の同級生の娘さんに

黄色い小さな鳥をプレゼントして喜ばれる、という夢を見まして

 

調べたら全体的な夢の構図としては愛情運とか恋愛運が上昇してるらしい…

 

ていうかね

 

夢の中の小鳥

めちゃめちゃかわいかったんですよ。

 

かわいかったので幸せな夢でした。

 

ところで

最近思ったんですけども

イズクエとかセッションとか行き始めた頃、そもそも自分になんの問題があるかすらわかってなかったっていうか

多分あれ、自分がわからないから行ってたんだけど

(自分に近しい神様知りたいとかそういうのって結局自分が知りたいってことだし)

浮かび上がる問題のテーマって、沙久良さんのブログ読んでると、一度沙久良さんがぶつかってるテーマだったりすることが多くて

それはそれであちらの方々が配慮してのことなのかしら、とも思ったし

ある意味皆同じとこで躓くのかしらとも思ったんだけど

 

もしかしなくても、自分が悩んだり苦しんだりで乗り越えた事案の解決の鍵って

そうやって同じような事案で苦しんでる人へリレーのように渡されていくんじゃないのかなとか思ったんですよね。

 

解決方法は違っても多分キーワードは同じなのかなって。

 

そしたら何かしらの形で言葉として残していかないといけないのかなとかは思います。

 

自分が泣きながら登った崖がせめて誰かには丘位になるように。

個人で案件も性格も違うので、崖ってより断崖絶壁なことはあるかもしれんけど。

 

自分が超えれたから、誰かも超えれるとは思ってないけど

悩んでる時点で

「生きること」だけが決定事項なんだと思うし。

むしろそれだけ決めてたらいつか乗り越える方法とか

そのためのタスクとか

多分不意に気づくんだろうなとかは思うので。

でもそれに気づくのって

誰かの経験とか言葉なことも多いしな('ω')ノ

 

昭和の高度成長期から平成にかけてって

なんていうか見栄と爛熟の時代っていうか

 

爛熟するからこそ滅びの美学とか儚いのがもてはやされたりするんだね、とか

ある意味上昇に対しての反発でもあるのか、もしくは力を得ていくばかりだとバランスがとれないから、そういうのがもちあげられるのかなとか。

「繊細じゃなくていいわね」と言われたあれは、マウンティングだったんだなとか思うけど

知りたくもないけど、今や逆のことを口にしてたりするのかしら

 

ていうかさ

 

状況を冷静に見て、とりあえず精神とか悩みに引きずられるようなことを選ばずに生きてる事の方が実は繊細じゃないのかね。

悩んで食べれないの~って繊細じゃなくて脆いだけだし。

まーその状況でマウンティングとるあたり、脆くもないんじゃないの❓(・∀・)と思いますけどね。

悩んでご飯食べれず痩せちゃう自分のヒロイックが楽しいんだろうし←ひでーな

 

とか本題からずれたことを考えつつ

 

つまり今からは見栄を棄てていかないといけないのかなって思います。

 

見栄って

 

なんの足しにもならんし

バブルの時代とかはその見栄をきることで走れる人はいたかもしれないけど

今は多分違うよねって

見栄を棄てないと見えないものも見えない世界もあるし

 

(´Д`)

あー

爛熟していっていろんな物を重ね着して重ね着していったから

重ね着できてなさそうな儚さが尊とばれたのかな。

上につけた実が爛れてきた今

それを剥がして剥がして

気づいたら生きることが本髄ってとこにたどり着いてる感じ

 

ついったで「どうして子どもを産まなきゃいけないの?」っていう我々は何になってしまったのか。ってのを見て

 

そろそろ生物として原点回帰もしないといけないのか。

かといって

原点回帰しつつもテクノロジーと共有していかないといけないけど

じゃあどうやって?

 

そこが論点なのかなとか考えたりします。

 

これ

いいとこで終わりすぎて早く続き読みたいなあ(´Д`)