当り前のことなのに当り前に思う事が難しいことだなと思ったので
本日の格言とさせていただきます。
←勝手に
まあ
何をもって美しいとするかですよ。
老いる事が醜いのだとしたら人間は皆醜いのでね。
その中でどう対応するかどう在りたいかを考えて顕在するかに
美しさがあるのかもかな、っていう。
刹那じゃなく過程
ていうかどういうものを美しいかと思うかなんて結局趣味ジャン
好みじゃん
黄金比とかの絶対値としてのものもあるけど
実際その絶対値からの余白に魅力って見出されるものだし
誰がなんと言おうが自分の美を貫けばさ
最初批判されようが最終的には自分の周囲には市民権をもてるものだとも思うんですよね。
ま
黄金比っていう正道ありきではあるけど
むしろ正道ないと無法地帯で美の存在も消える気がするけど。
そういえば前々から気付いてたんですが
美についてこんな考えながら、私は実は世間の美の基準がどうでもいい人だったりする
基本的に自分の好みなのかどうなのか
自分がこれが好きだ可愛い、が全て
頭で一応世間の美しいとかって基準とかはうっすらはわかってるつもりですが
へえ、で終わる。
あんまり世間がどうとか関係ない。
関係ないね!(柴田恭平風に←古いから
だってね~
「きれいな顔だな」と思っても意地が心底悪い人を観ると
きれいな顔の造りだ
美しくない
この2語が出て「美しくない」が勝つんだもの
造形美と美しいは=じゃないっていうか
毒舌とか性格悪いとかは別にいんだけど
どうも意地が悪い人が嫌いらしいよ、私
毒舌と性格悪いは人の事言えないし
ある種個性だし面白いからいいらしい。
あ、面白いが基準か
意地が悪い人って面白さを提供してくれないじゃん
気分悪くなるだけっていうか
意地が悪くなるのに気を付ける事にしよう
(毒舌は控える気は零)
(性格も変わらないので変更する気零)