いわゆる雑感
世の中的に「流れに身を任せる」だとかいいますし
「采配」なんてこともよくいいますし、私もいいますけど
思うにー
よくある間違えって「流れに身を任せる」って「丸投げ」ってことじゃあないのよね
ということです。
どうしてもこうしたい!イマのここを抜けたい!という時に
途中の準備迄はやるのに、後は相手任せだとか。
いや、もちろん相手次第なこともあるだろうけど
相手任せにしても
ほんとにイマの自分、最善をつくした?
ほんとに?
どっかで「ここまでやったんだから、自分の思う通りにやってよ。神様その流れを作って!」
とか思ってないかな。ってことですよね。
多分、何も助けてもらってないと思ってる人って、そこで終わるからなのだと思うの。
それって相手に、じゃなく神様に丸投げですよね〜とふと思って。
でも実はここ止りな人って多いと思うし。
だって一応行動はしてるからね。
どこが境界線なのかな〜って考えてみて
「責任がどこにいくか」なのかなと思う。
責任が自分に帰属するのなら丸投げじゃあないのかな、と。
神様のご助力って結局
何かをしてる時に、最終段階迄の間の決済を減らしてくれるってことなのかなと。
やれることはやりきった。なのですんなり行くように無駄なトラブルを減らしてくださいってことかなー
途中で、勘違いなことをして大事になりそうなミスが、急に目について防げたりとか
なぜかそのことに関しての話題が全く関係ないとこから出て来て、「え、知らんかった!じゃ、こうしよう、ラッキー」
とかいうことで、最終的にゴールへの道が楽になるし、ゴールがよくなる。とかいうことだと思う。
ここまでやったんだからいんじゃん?と思ったら
「ま、いんじゃん?」な扱いしかされないのは仕方ないよね。
嫌な事も神様はやっちゃあくれないからね。
あー
てことは覚悟の問題でもあるのか。
人に自分の人生の決断とか選択を委ねるのって、主導権を明け渡すことだと思ってたけど
それちょっと違うなあ。
単なる責任放棄だなあ。
あくまで主導権は自分にあるもの。
「人に選んでもらう」っていう選択をしただけで。
責任放棄するとさー、責任ないみたいに見えるけど
他への責任はなくても自分の気持ちへの責任はなくならないよねー。
先日書いた、なぜか季節外れに咲いた百合