どーゆー境界線だ | 日々是…

日々是…

いわゆる私の独り言的な

書かせてもらえん、と思ってたら
さっき明日用に炊いた炊きたてのご飯を少し食べたら
なんか書いてもいいような感じに…


なにそれ

しかし私の胃は壊れそうである。


なんとゆーか
今まであんまりスピ系の方のブログは読まなかったんだけど
なんか最近ちょいちょい読んでるのです。

まあ。
一種苦い思い出があるからあんまり読みたくなかったっていうか

就職したばっかりだったか学生だったかもう忘れたけども
高校の友達が連絡してきて、あったのだけども
なんか、なんとか研究会、みたいな
啓発系の講座に連れていかれ

またかよ!みたいな

またかよ!てのは
父親が死んだ後、ここぞとばかりに某新興宗教の方たちが
人を代え、手を代えこられてですね
時間をかけてくれちゃって
集会連れてかれて

てことがね


まあ私の性格なので取り込まれたりはしないけど
某新興宗教さんの集会では信者に囲まれてる中
こちらの神様に頭を下げる義理ないし、と頭も下げることなく
話ききながら笑いたくなっちゃったり
(一応某新興宗教さんが変とかじゃなく、私の感覚では何これっと思っただけ)
果ては持論展開しまくって、洗脳しかけてたので
それ以来呼ばれなくなったんですが

正しいかどうかは別にして
彼らより何も奉らない私の意思のが強かったんでしょう。

なんとか研究会は眠かっただけで。

それ以来付き合いはありませんけど。

まあ。スピリチュアルというとその時のめんどくさい感じがね。
イメージ的に被っちゃって。

まあ。今はそんな感じでもないんだろうなと。
(そういうのもあるだろうけど)

なんか読んでてふと気づいたっていうか

幸せがどういうことかわからないというのもあるけど
幸せになりたいって願う心がわからない。

そんなこと願ったことがないのに気づいてね。

なんでかわからないけど、
幸せだと心底思って、この幸せをもっと…と思ったら
車に轢かれたり、心臓発作が起きたりして死ぬんじゃないかと思ってるから。

『あ、幸せって思った?じゃ、今生これで終了ね』みたいな。
まあ、これは今の私が思ってることですが
子供の頃から30代最初らへんまで思ってたのは
幸せになったら全部取り上げられると思ってた。

取り上げられる。
多分何かしら大事なキーワードなのだと思う。

急に『多くを持てる人にはこれだけしか持てない人間の気持ちなんてわからないのよ』と心の奥で聞こえてきて泣き出したので。

誰かはわかるけど。
でもさあ。はるちゃんよ。
訴えてもきっとわかっちゃくれないと思うよ。
ずっとわかってくれないじゃん。
そんなこと期待したって辛いだけだからやめようよ。

で、幸せが怖い理由と願えない理由はわかったけど
恐怖を克服するのって。
そんなリハビリ…ないと思う。