2026年8月20日に、東武日光線鹿沼駅のホームで、草刈り作業者3名と、元受け監督者1名が、ホームに入って来た特別列車スペーシアX2号にはねられて亡くなられました。

事故発生から4日しか経っておりませんが、現時点での情報で、安全性についての個人的見解について書いてみたいと思います。

鹿沼駅事故現場見取り図、東武建設社員と列車

当該事故の関係者は、10名。(丸レッド亡くなられた方)

元受け会社 東武建設 監督者丸レッド、作業指揮者丸ブルー

X建設 丸レッド丸レッド丸レッド丸ブルー丸ブルー 5名

警備会社2社派遣 見張り丸ブルー丸ブルー丸ブルー 3名

 

<当時の役割分担>

列車中継見張り員: 列車を目視確認し、作業者を退避誘導。

          退避後、中継見張り員へ無線連絡し、退避完了報告。

中継見張り員  : 無線連絡により、列車運転士へ旗を振って安全な状態を知らせる。

列車運転士   : 旗を確認し警笛を鳴らす。

 

<事故調査経過報告>

列車見張り員と中継見張り員が、連絡できない状態であった。(無線の問題?)

当初計画に入っていない現場監督者(東武社員)が、線路上で亡くなられた。

 

<個人的想像 事故発生時の経緯>

列車見張り員が、列車を見ていなかった。(水を飲んでいたなどの理由で)

中継見張り員が、列車を目視確認したが、列車見張り員から無線で退避させた連絡が来ていない。

(無線機故障?)

慌てて、列車に侵入中止を求めるジェスチャー(旗を振った)をしたが、安全であるジェスチャーと同じであった。

運転士は、安全だと思い、警笛を鳴らした。

ところが、線路内で作業者を目視で確認。

慌ててブレーキをかけたが、間に合わなかった。

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列車見張り員も列車接近を確認し、慌てて大声で退避するように作業者に叫んだ。

ところが、草刈り機がうるさく、また作業員は全員耳栓をしていたので、声が聴こえなかった。

無反応な作業者を見て、たまたま、そこに居合わせた東武の監督者が、作業者を退避させるために線路内にホームから降りた。

列車から逃れるために、旧ホーム側へ作業者を移動させたが、旧ホームには退避できる隙間が無く、列車と接触してしまった。

列車は、時速50km/h程度のため、10数秒の間の出来事であった。

 

<不十分だった事前検討>

安全に配慮して警備員3名(ホーム1、上下線350m位置に2名)を配置して、安全確認手順を決めていたが、危険時の行動が決められていなかった。

危険を知らせる咄嗟のジェスチャーが、OKジェスチャーと同じだった。

東武鉄道、東武建設側が、作業詳細を十分に把握していなかったのでは?

(鉄道会社の安全意識は、一般人よりも3~4倍高いはず)

 

<安全を考える>

では、どうしていれば良かったのか。

そもそも、なぜ昼間の列車が運行している時間に作業をすることにしたのか?

(ここからも想像です)

夜間 午前2時から午前5時くらいまでが一般的に列車の運行の無い時間帯。

その時間に草刈り機で作業をすると、近隣住民から苦情が出たはず。

だから、昼間の作業にしたと思われる。(安全に配慮すれば出来ると思った)

 

だが、ここが大問題。

安全とは、やめること。 危険な事をゼロにすること。

なぜ、危険な方向に判断したのか?

今時は、草刈り機も電動の高性能の物があり、音が静かである。

しかも、物によっては、エンジン式より草刈りスピードが早い。(回転式ではなく、スライド式)

値段も、さほど高くない。

夜間に作業しても、あっという間に終わる。 警備員の配置も不要。

警備員3名の日当分で、電動草刈り機は買えた。

 

安全とは、そういう間違いが発生し得ない状態にすること。

例えば、昭和39年に導入された新幹線。 多発していた踏切事故をゼロで運行したい。

強固な踏切を建設したり、誘導員を配備して確実に安全な状態にするなどの、様々な意見が出た。

その中で、1人の人物が発言した。 「踏切を無くせばいい」

皆にバカにされた。 「いったい、どうやって?」

ところが、旧国鉄総裁が、その意見を採用した。 「全線を高架にせよ」

莫大な量のコンクリートを使用して、高架にした。 勿論、莫大なお金も使った。

「人命には代えられない」

安全とは、やめること。

 

鉄道員たちには、そういった意識が根っ子にあったはず。

 

<私が最近思うこと>

世の中が大変便利になった。 聞きたい事は、なんでも検索できる。 AIも登場して、簡単に答えを出してくれる。 とても便利だ。

だが、危険な要素もある。 人が考えることを止めた。 考える癖が無くなった。 考えるのが、浅くなった。 そういった事例を、とても身近に感じている。

ちょっと考えればわかることも考えない。 大変、怖いことである。

今回の事故も、もっと考えていれば危険だということがすぐ分る。

普段のコンサル現場でも感じている。

全くと言って良いほど、考えていない。 考える時間も無い。 考えることを面倒臭がる。

このまま世の中は、考えない人が増殖していくのだろうか?

 

便利で、何もかもやってくれることが幸福だと皆思っている。

先日聞いた話しでは、高齢の母親が施設に入って痴呆が加速したらしい。

自分で考えてやることが無くなり、なんでも施設でやってくれるらしい。

それって、どうなんだろうか?

 

便利な事を否定しているのではない。 便利に暮らせばいい。

だが、考えることを止めてはいけない。

会社も、考える集団にならなくてはいけないと思うのです。