私の子供の頃の話しです。

私の家は貧乏でした。 上中下で言うと、下でした。 その中でも真ん中くらいでした。

下の中といったところです。

小学校3年生の頃になると、中の下くらいになっていました。

友達の中には、更に貧乏な友達もたくさん居ました。

そんな事は、誰も気にしていませんでした。

今思い出すと、友達は私の家でよくご飯を一緒に食べていました。

1人だけではありません。 2~3人居ました。 「ご飯を食べていき!」という私の母の命令で、皆で一緒に食べるのです。

そしてまた、私も友達の家でご飯を食べたりお風呂に入ったりしていたものです。

昭和48年くらいの話しです。

当時は、他人の子も自分の子も、同じように飯を食わせ、風呂に入らせ、叱ったりしていました。

よく大人に怒られていました。

貧しい家族が食卓を囲む姿

皆、貧乏でした。

でも、なんか楽しかったのです。

「子は宝」という言葉が、今では本当にそう思います。

年を取るまでは、心の底からそう思うことはありませんでした。

他人の子も、地域の皆で育てていた実感があります。

今は、そんなことはありませんね。

 

SNSを見ても、豪華な食事、豪華なホテル、高級車、高級服のSHOWともいえる写真が飛び交っています。 どうしてそんなにお金を持っているのか不思議なくらいの若者が、超高級車に乗っています。 その競争をしているように思うのです。

皆で競い合っているかのようです。

大人たちは、その楽しみのために必死になっているようです。

だれも、近所の子供達にご飯を食べさせようとしないでしょう。

我が子でさえ、構わない親が居る始末。

自分の楽しみのために、自分の周りが見えなくなってしまった大人たち。

 

少子化問題と言いますが、本当の問題はそこではないような気がします。

少子化現象ならば、なおさら子供達を大切にしなければなりません。

 

今更こんな事を言っても何も始まらないことは分かっているのですが、昭和の人達の感性には戻らないのでしょうね。

 

初段に、下の中の話しをしましたが、仏教には九品(くほん)というのがありまして、この世の行いによって、あの世に行ってからの扱いが決まるというものです。

まず大まかに、上中下とありまして、上品、中品、下品と言います。

「あの人は上品な人ね」、「あいつはなんて下品なんだ」などと言うのは、そこから来ています。

そして、上品、中品、下品の中に、更に上生(じょうしょう)、中生、下生とあります。

ということで、9段階に分かれているのです。 なので、九品と言います。

 

私の親は、貧乏で下の中だったけど、生き方は上品だったように思うのです。

だから私も、お金の有無に関わらず、上品な生き方をしたいと思います。

大したことはできなくても、お金が無くとも、そういう生き方はできそうな気がします。

「子は宝」

日本中で、世界中で、そう思って欲しい。