ビジネス本や自己啓発書において、「(本当に)わかりやすい!」と、思わず、足をたたいてしまいそうになるぐらいの「わかりやすさ」や、「理解のしやすさ」であふれているオーディオブックや書籍に出くわすといった確率は、実際のところ、結構、低いのかもしれないなあ...と、最近、時々、感じることがある。よく「○○入門書」や、「易しく書いた○○」といったものや、「数学嫌いな人のための数学入門書」といったもの、これらが、「入門書」であるにもかかわらず、数学であれば数式がふんだんに使われているし、哲学の入門書であれば、哲学にまつわる専門用語が、ふんだんに使われているし...で、正直、「え?これで、わかりやすくした入門書なの?」と、思ってしまうことが、正直、結構あると言わざるを得ない。もちろん、文字情報だけで説明しなければならないことの大変さというのは、僕も、まがりなりにも、ブログを書いてきて、それなりに実感はあるつもりなのだけれども、「もう少し、なんとかならないものなの?」と言いたくなってしまう瞬間が、一度や二度ではない...というのが、僕の正直な所感だ。そして、その「専門用語」を、いちいち、その都度、その都度、調べながら読むわけにもいかないので、結局、知らない用語が出てきたら、「前後の文脈関係から考えて、おそらく、この用語はこういうことを意味しているのだろう...」と、「推測」をしていくしかなくなってしまうところに、「もう少し、なんとかならないものなの?」という感情が、発生してしまう原因があるのだろう。もちろん、それと同時に、この「専門用語」を使うことによる「意味の精緻さ」や、「表現の精緻さ」といったものは、それはそれで、非常に価値があるものなのだということも、重々、承知はしているのだけれども、まあ、一言で言って、「普段の日常生活における会話の中で、使いづらい表現が、次から次へと出てくるなあ...と。」

 このように思ってしまうのは、おそらく、僕だけではないはず...。

 こうした(本やオーディオブックを読んだり、聴き進める上での)経験・体験を通して、改めて考えさせられるのは、大学受験の時に経験した「現代文」の「筆者の意図している主張はどれか?」といった問題や、「文章の前後関係から考えて、傍線部と同じ意味を持つ選択肢(語句)を選びなさい」といったような問題を通して、培ったり、磨いたりすることができていたと推測される「文章の読解力」を鍛えた経験・体験だ。もちろん、日々、読書をしていくだけでも、これらの能力というのは、読書体験を通じて、磨いてゆくことはできるのだけれども、この前述の「専門用語」の「意味」を類推する力を磨くためには、この現代文で出てくる意味の類推問題はもとより、筆者の主張はどれか?みたいな問題が、少なからず、関わってくるような気がしてならない...。

 じゃあ、大学受験を経験しなかった人はどうすればいいの?といった話が出てきそうだけれども、その場合には、センター試験の現代文の読解問題の中の「評論文」の問題形式のものを、一通り、解けばそれでいいのではないだろうか。

 いわゆる「意味を類推する癖づけ」みたいなものが大事なのであって、もちろん、意味の類推能力が、まったく関係ない...と言ったら、ウソにはなってしまうのだけれども、少なくとも、オーディオブックを聴き進めていくうえにおいて、大切なのは、「知らない用語が出てきたけれど、これってどういう意味なんだろう?」といった疑問を抱き続けながら、オーディオブックを聴き進めていくことであり、それ自体は、この「意味を類推する癖づけ」さえあれば、それなりに、「聴き終わった後に、そういえば、あの用語の意味が解説されていなかったなあ...」とか、「これ(専門用語)ってどういう意味何だっけ?」といったような疑問が出てくるだろうから、それはそれで、ある種、頭に残ってしまえば、こっちのもんだ...といった心持ちで、聴き進めればいいのではないだろうか。