僕個人の意見としては、「話す」よりも、「書く」という活動を通じてのほうが、左脳に対するインプットしている感じというのもそうだし、「話す」よりも、記憶に定着しやすいはずだ...という、憶測・推測があるために、本を読んだ感想を、きちんとノートに取って、一つの感想文として、まとめあげる力(能力)というのは、それなりに大きな意義があると思っているのだけれども、皆さんの場合はどうだろうか。ただ、第二言語としての英語圏のカルチャーを吸収している感じのリアリティということに関して言うと、それは「書く」や「読む」よりも、あくまで、スピーキング(話す)ということに軍配が上がるというのは、それはそうなのかもしれない。(実際の書類選考で、一般的に見られる力というのは、このスピーキングの力ではなく、あくまでもリーディングであったり、ライティングの力のほうにはなるのだけれども、American culture(アメリカの文化)をabsorb(吸収)したといった点における実感(realization)で言うならば、やっぱり、スピーキングを通じて得られたものというのが、数年間、英会話のスピーキングに特化して、トレーニングを積んできた僕としては、転職活動には、直接的に役には立たなくても、それなりに大きな役割(function)を果たしたということが、言えるような気がしてならない...というのが、僕の本音だ。)

 とあるオーディオブックのある一節に、本を読んだ後で、その読書した後の所感を、ノートにまとめるなり、なんなりして、その読書の内容を、自分の記憶にとどめておくためのトレーニングの一環としての「書き記し」というのは、労力がかかる割に、そこまで大した学習効果を生み出さない...という意見(opinion)があったのだけれども、こと、「日本語」に関して言うのであれば、あくまでも、「思考力」にターゲットを絞り込むのであれば、もしかしたら、「感想」としてまとめあげる...というのは、そこまで大きな意味と価値を持たないケースも、それなりにあるのかもしれないなあ...とは思ったが、それでも、この「話す」と「書く」というのが、コインの裏表かのような、表裏一体の関係(不可分の関係)性を帯びている気がする...という実感を、読書カフェの読書会において、少なからず、実感している以上、たとえ母国語であったとしても、それなりに「感想」をまとめあげる作業というのは、それだけの価値を持つはずだという、自分なりの所感というのも、同時に持っていたりもする。

 そして、ここ最近の僕のオーディオブックの聴き方というのは、どこか「宝探し(宝のようなフレーズ探し)」になっている側面というのも、ふんだんにあって、そのオーディオブック全体を俯瞰して見た場合に、「どのようなことが書いてあったか」ではなく、「その本の中のどのようなフレーズが頭に残っているか(あるいは、日常生活に使える考え方やフレーズがどれだけありそうか)」という、ある種、表層的なオーディオブックの使い方になっている点は否定できない。

 ただ、オーディオブックを聴いたり、本を読んだりしていて、あらためて思うのが、言葉(フレーズ)として覚えていなくても、スポーツのように、「感覚」言うなれば、「思考感覚」が、その本のセンスを覚えていて、たとえ、フレーズが思い出せないとしても、結果として、「知っている」あるいは、「気づいている」ということにつながる可能性が、少なからずあるということ...。異文化理解力とは、また全然、ジャンルの違う能力なのかもしれないけれども、言葉(フレーズ)としては残ってはいなくとも、「チャンク」として、そのセンスは追加されている。そういった見方も、できるにはできるんだろうな...と。