何か外界からの刺激に応じて、自分の心がどことなく、「反応性(respond)」的な性質を有している...というのは、周囲の人達からの期待(expectation)や、rumor(噂)あるいは、reputation(評判)などに対する「意識」を、強く意識づけられていれば、意識づけられている人ほど、この「反応性」の「性質の強度」というのは、enhance(強化)されていくというのは、それはそうなのかもしれない。芸能人一人、取ってみたって、どれだけ「報道」されたところで、意にも介さないような、イメージで言えば、ホリエモン(堀江貴文氏)のような、「炎上はコスパがいい」と、自身で明言するような人と言うのは、どれだけ、バッシングを浴びようが、世間から非難ごうごうであろうが、「バカに恵む時間はない!」と、さらに明言してしまいそうな気がしている。こういった「外界からの刺激」に対して、「週刊文春」のことを「クソ文春」と、自分のアドレスに登録するようなメンタリティというのは、私たちも、どこか学ぶべきところがあるのではないだろうか...と、思わずにはいられない。あるいは、「手取り14万?お前が終わってんだよ!」と言ったような、平気で誤解を生みだしかねないような発言を、堂々と発言して、そのあげくには、YOUTUBEにアップロードするようなメンタリティというのは、本当に学ぶべきところがあるとしか言いようがない...という見方も可能(enable)だと思うのだけれども、果たして、あなたはどう思うだろうか?

 ただ、ホリエモンの著作(本)を読んでいると、たしかに、常識外れみたいな考え方があるにはせよ、どこか、本当に苦労してきた者にしかわからない領域の思慮深さというか、一種の愛を感じてしまうのは、僕だけなのだろうか。僕には、どうしても、単なる「金の亡者」には思えない気がしてならない...というのが、何冊かホリエモンの本を読んで感じた実感だ。もちろん、「これは真似できないな」であったり、「それは違うよホリエモン!」というようなツッコミを入れたくなるような箇所も、それなりに多くあるのだけれども、ビジネスに対する熱さであったり、真剣さであったりというのが、ひしひしと伝わってくるだけに、どうしても嫌いになれないというのが、僕の正直な本音だ。(どこか、笑わすつもりがなくて、笑わしてくれるような存在でもあるのかもしれない。)

 とにかく(Anyway)、外界からのいわゆる、ありとあらゆる刺激に対する対処の仕方というのは、ホリエモンほどにする必要はないにはせよ、そんなに(そこまで)、自分を追い詰めていくものであるべきではない!というのが、僕の正直な意見で、よく昔は、新しく入った社員が、「死ぬ気で頑張りますので、よろしくお願いします!」といったフレーズがあったかと思うけど、そうではなく、(もし心構えとして持つのであれば、)「殺す気で頑張りますので、よろしくお願いします!」のほうが、本当に、自分のメンタルに対して、優しい捉え方というか、無駄に自分自身を追い込んで、メンタル疾患を発生させる確率を、自分自らの発言で、わざわざ上げなくてもいいのでは?と、思ってしまう。まあ、ブラック企業のブラック上司とかであれば、こういう発言を喜ぶのかもしれないけれども、こうした発言(「死ぬ気で頑張ります」的な発言)を、スタンダード(中心)に据えていては、よくなるものも、よくならなくなってしまう。こうした捉え方を、ホリエモンであれば、決してしないだろう...というのが、僕の推測だ。この「死ぬ気で頑張ります発言をして、自分自身をさらに追い詰める社員」と、「ホリエモン(堀江貴文氏)」とを、「対比」するという現代文の問題文があったとしたら、「メンタリティ」を考えていくうえにおいて、非常に有益な文章になるのではないだろうかとすら、思ってしまう。この「対比」をして、その「落差」を思い知って、実感をする...というだけで、それなりに、心がスッと軽くなる人もいるのではないだろうか。そのような見方(視点)で、ホリエモンの本を、熟読していくと新たに何か見えてくるものがあるのかもしれない。いわゆる、discovery(発見)的なものが、リアリティを伴って、出てくる可能性があるとも考えているのだけれども、いかがだろうか。