フィジカル・メンタル双方にとって、一番、負担の少ないactivity(活動)と言われたら、皆さんは、どんなactivityを想像するでしょうか。僕の場合、頭を働かせるのを休ませるといった意味では、任天堂Switchのダービースタリオン(通称:ダビスタ)を、ソファーに座りながら、延々と、競走馬の調教→出走のルーティーンを回していくということが、それなりに負荷(負担)の少ないactivityとして、機能していると言うことができると思う。また、体を休ませるといった意味(観点)からするならば、リラックスできる椅子に座って、ただひたすら、オーディオブックを聴いているというのが、頭はそこそこ使ってはいるものの、姿勢が楽だというのと、目を使っていないということで、少なくとも、フィジカル面では、それなりに負荷の少ないactivityとして、機能していると言うことができると思う。

 この「楽をしている」というセンス(感覚)が、それなりに大事なのかなあ...とは思っていて、たとえば、同じ「椅子に座っていてブログを書いている」という状態一つとってみても、どこか居心地のわるい感じ...というのが、発生してしまっていては、どれだけ、趣味でやっているから、これは楽をしているんだ!と、心の中で叫んでみたところで、それはやはり、本来的な「楽をしている」というfunction(機能)を果たしている...ということには、当然のことながら、つながらないだろう。こういった自分の身体感覚や、メンタルの感覚に対して、ある意味、センシティブ(敏感)になることによって、とにかく体に無理をかけない...といったことが、日常生活レベルから改善されていくことにより、得られてくる、一種の健康に関する自信というのも、あるにはあるのではないだろうかと思っている。

 ここらへんが、どうも昔の自分になればなるほど、「無理をしてでもやる!」や、「気力・根性で耐え抜く!」といったセンスが勝ってしまっているように思えてならない部分が、ふんだんにあったような気がしていて、そのことが、結局は、自律神経を乱してしまう結果にもつながってしまっていただろうし、心身症めいた症状の発症の要因にもなってしまっていた...と、考えることができなくもないのではないかなと思っている。もっと自分の身体感覚や、心の感覚に対して、純粋に素直になるということが、大事になってくるんじゃないのかなあ...と、昔の自分に言えるのであれば、言ってやりたいなあ...とさえ、思ってしまう部分があったのは、紛れもない事実だ。

 まあ、どうしても社会人になると、踏ん張りどころみたいなところが、どうしてもあるので、いつもいつも、必ずしも、自分を休ませてあげられるようなenvironment(環境)ではないのは、たしかなのだけれども、このeffort sense(努力や根性でなんとかしようとするセンス)それ自体の活用の度合いを、もっとeffortしていても、comfortable sense(居心地の良い感覚)になるようなそんな自然な身体感覚や、心の感覚というのを、常に、心のどこかで気遣っていたいというのもそれもそうだし、いわゆる「あるがまま」の状態でそうなれるように、自分自身、顕在意識上における意識づけというのを、もっと積極的に示していきたいと思っている。長年の習慣によって、身につけて来てしまったようなところもあるから、そんな簡単に、一朝一夕に行かないのかもしれないけれども、頭の片隅には、このことを常に念頭に置いておきたい。