メンタル疾患についての理解を深めるには、「日本語力」というか、「語彙」や「論理的思考力」、「抽象化思考能力」といった能力が高ければ、高いほど、その人自身の疾患(disorder)を理解し、「腑に落とす」のに、役立つ可能性が極めて高いと考えているのだけれども、果たしてどうだろうか。身近な例で言えば、中村天風さんの誦句を、正しく理解したり、使いこなせるようになるには、やっぱり、この「日本語力」や、「語彙力」があったほうが、どうしたって、「腑に落ちた理解」に結び付きやすいだろうし、それをわかりやすい形で表現していると思われる、斎藤一人さんのYOUTUBEや、オーディオブックにしたって、日本語の「感性」というか、その発言した内容から、イメージを膨らます一種の能力のようなものが、必要になる可能性が極めて高い...と、思わせられる場面だったり、発言だったりといったものが、少なからず、含まれているように感じた。

 ただ、「日本語」という「文章」で理解(comprehension)できているのかor「日本語」の「ニュアンス」で感じ取っているのか(catch up feeling)の違いがあるように、必ずしも、大学入試のセンター試験の現代文で問われるような「日本語の文章」を「理解する力」のみに、頼って(depend on)いかなくても、その日本語のフィーリングさえ、感じ取れていれば、それはそれで、それなりに「わかる」という状態は、実現することができるはずだ。このことからも、わかるように、友達や恋人と直接会って、話してみて、「わかる」ことというのと、本や文学作品、漫画などを読んでみて、「理解する(≒わかる)」というのとは、ちょっと求められてくる能力性質が異なってくると思っている。

 それは一つには、端的に言ってしまえば、「理解する(understand)」ということなのかor「感じ取る(catch up feeling)」なのかの違いだと言うことができるはずだ。一般的に、男性のほうが、この「理解する(understand)」といった方面の能力が強くて、女性のほうが、この「感じ取る(catch up feeling)」といった方面の能力が強いと思われている。それはその通りだとは思っていて、そのことは、日常的な会話の性質が如実に物語っている部分が大きい。すなわち、女性は「問題解決をゴールとした会話」ではなく、「自分の気持ちに共感してもらう」ということを、ゴールにした会話が多いのに対して、男性の場合は、「問題解決をするための一つのツール」として、会話という手段を用いているケースが、女性の場合よりも、比較的、多くなる傾向にあるのではないだろうか。どちらが良い・悪いの判断は、できないのだけれども、なかなか、共通の趣味を持っていない男性同士が、カフェで雑談する...と言っても、どうしたって、仕事の話になりがちなのに対して、女性同士の場合には、おそらく、そこまで仕事の話を話題にしなくても、話題に困らない...というか、気が付けば、話してしまっている...という状態になりやすいのではないだろうか。このような普段の日常生活における「得意とする日常会話の会話性質」の違いからも、明らかなように、普段、磨いている能力の側面が、日常会話からして、大きく異なっている...と言うことができるのかもしれない。

 これをプロの職業にあてはめてみると、「理解する」が「コーチング」だとするならば、「感じ取る」が「カウンセラー」だと言うことができなくもないはずだ。コーチングに関しては、そこまで詳しくないのだけれども、カウンセリングについては、その「あいずち」の打ち方や、「ノンバーバルコミュニケーション」一つ取ってみても、改めて、なかなか難しいものだなあ...と、日本生産性本部のキャリアコンサルタント養成講座における、カウンセリングのトレーニングで、つくづく、実感させられてしまった。僕も、カウンセリングを受けたこと自体は、あるのだけれども、「共感してもらいたい!」というよりかは、「問題解決策を教えて欲しい!」といったような使い方に近かったかもしれない。おそらく、この分野(解決策の提示)については、「カウンセリング」という技法の得意とするtechnical skill(技術)では、なかったのかもしれないが、少なからず、自分の頭の中が整理できた感じというのはあったから、それなりに効果はあったのだろう。