僕が以前、よく読んでいた本の著者である千田琢哉さんが、その著書の中で、「執筆の合間に、勉強するのではない。勉強の合間に執筆するのだ。」といった文章を記述していたが、よくもまあ、あれだけの文章を「無意識で」執筆することが、できるほどに、「執筆するネタ」があるものだなあ...と、ある意味、とても感心した。そういえば、千田さんが会社員時代に、トラブルがある都度、「これで執筆するネタができた!」と、トラブルがある都度、ある都度、喜んでいたというけれど、仮に、執筆するネタができたにしたって、「文章を書く」ということが、本当に好きでなければ、なかなか、そういった感情(喜ぶといった感情)には、ならないものなのではないだろうか。それを読んで、改めて、千田さんは、「執筆する」ということが、心の底から、本当に楽しいんだなあ...と、改めて思った。

 僕も、ブログの記事を書いていて、「楽しいなあ...」とか、「考えが整理されたなあ...」とか、少なからず、思う側面がないわけではないのだけれども、トラブルがあったことそれ自体を、執筆するネタができた!と、喜んだりするということは、とてもではないけれども、真似できないような気がする。やっぱり、トラブルは起きないほうがいいし、苦労しないで済むのであれば、苦労しないで済むに越したことはない...と、そう思ってしまうし、若い頃の苦労は買ってでもしろ!というのは、よく言ったものだけれども、僕自身は、このことわざについても、「その通りだなあ...」とは、振り返ってみれば、振り返ってみるほど、そうは思えなかったりする。ただ、本を読んで勉強して、その成果(アウトプット)として、執筆するというルーティーンを無限に繰り返すような、千田さんのライフスタイルには、少なからず、憧れていたりもする。結局、「書きたくて、書いている」わけだから、いくら仕事とは言っても、相対的に見て、そうではない人より、圧倒的に、「ストレス負荷」が少ないだろうから。その「ストレス負荷」の少なさに、憧れていたりする。

 と、ここまで書いてみたけど、僕にとって、本当に「ストレス負荷」が少ない状態で、こなし続けることができる職種(ポジション)って、なんなんだろう?と、改めて、自分に問いかけてみると、経理を初めて、やった時の、あの仕訳を会計ソフトで伝票起票した時の「あ、学習してきたことが、きちんと活きてくる!」といった、ちょっとした感動は、最初はあったものの、販売管理系いわゆる、買掛金管理に使用するオフコン(オフィスコンピュータ)のオペレーションを引き継いだ時には、この「学生時代に学んだことが、きちんと活きてくる!」といった感覚は、全くといっていいほどなく、ただ、業務のオペレーションを習熟するために、画面イメージの反復練習と、実行コマンドの暗記を行うのみに、とどまってしまい、とても「業務を楽しめた!」といった類のemotion(感情)は、引き継いでいる期間以外で言ったならば、正直、ほぼ皆無だったと言ってもいいぐらいだ。僕が、この「経理実務」というポジションに対する苦手意識が発生した根本の原因を探っていくと、すべては、このオフコンの操作(オペレーション)に、いつまで経っても、慣れることができなかったりとか、残高確認書の予定入金額と実際の入金額の差異分析が、思うようにできなかったり、あるいは、全社的な予算編成をするうえでの「予算編成」の「さじ加減」や「他部署・他支店」とのやりとりが、なかなか思うようにできなかったりと...ここらへんの「経理実務」の、いわゆる「捌き(さばき)」で、四苦八苦しすぎた経験が、「経理実務の適性」そのものに対する疑問・疑念を抱き始めた発端だったと言える。しかしながら、僕の買掛金担当の後任として、他の会社から転職してきた、経理実務歴10年ぐらいはあるベテランの人が、入社して6カ月ほどで、音を上げて退職したという実績があることを考えると、一般的な経理実務のレベルを、難易度面にしても、処理量にしても、大幅に上回ってしまっていたのではないだろうか...という仮説も、一応、成り立つには成り立つとは思っていて、たしかに、僕は不器用だったかもしれないけど、少なくとも、「処理の丁寧さ」と「処理の正確性」については、自信を持ってもいいんじゃないかな?とも、思ったりしている。また、この会社での「経理実務」のスキル性質についても、どこか「属人的」というか、A社だったらA社、B社だったらB社でしか、通用しないような、どこか「ポータブルスキル(どこの会社でも通用するスキル)」とは、一線を画しているのではないか?という、仮説も、一応、あるにはあって、そういう「スキル性質」のところまで踏まえると、一概に、「経理実務」が向いていないことの証明には、つながらないのではないだろうか...という、仮説も成立しないわけでもないとは思っている。ただ、なんだかんだ言っても、当時、休職まで追い込まれてしまった経緯を考えると、どうしても、「経理」というポジションそのものを、マイナスのbias(バイアス、簡単にたとえると、色眼鏡のようなもの)で、観てしまうような「強烈な癖」が、ついてしまった可能性は否定できないんだろうなあ。