気持ち(emotion)に無理を強いるとは、果たして、どういうことなのだろう?と、考えてみると、例えば、普段から掃除・洗濯・炊事などの家事全般をこなし続けている専業主婦(専業主夫)の人からしたならば、今日は少し微熱があるから、カップラーメンで、夕飯は済ませようとしたいところを、無理をして、張り切って揚げ物をした...といったほど、心身の状態に逆らった例ではないにしても、日常のありとあらゆる場面の中で、このemotion(気持ち)に、無理を強いる...といったsituation(場面・状況)というのが、少なからず、僕が仕事を続けていく中で、幾度となく、あったと、どうしても言わざるを得ないだろう。もちろん、人によっては、その程度の仕事の負荷で、emotion(気持ち)に無理を強いているという感覚に陥るとは、情けないやつだなあ...といった見方をする人も、当然のことながら、いるとは思うのだけれども、実際問題、僕の「気持ち」は、無理を強いていた...と、思われる職場でのsituationが、一度や二度でなかったのは、こうして客観的に、当時の僕自身を振り返ることができる年齢になっても、思ってしまうところがある...というのが、おそらく、僕の本音(本心)なんだろうなあ...と。
そして、この「気持ち」に、無理を強いるというのは、非常にわかりやすい形のpure emotion(純粋な気持ち)に基づくものと、仕事などのタスクが大量に降りかかってきてしまっていて、その膨大なタスクの量に押しつぶされそうな「気持ち」から来る、言うなれば、task emotion(タスク起因性の気持ち)といったものに、大別することができるかと思われる。
また、冒頭の例で出てきた、「今日は少し微熱があるから、カップラーメンで夕飯は済ませよう」といったものは、どちらかと言うと、disease emotion(病気起因性の気持ち)といった分類にはなると思われるけれども、それにしたって、コンディションの悪さに合わせて、タスクの量をコントロールしていくといった観点で見るのであれば、ある意味、task emotion(タスク起因性の気持ち)といったものに、大別することができると言えなくもない。
前述のpure emotion(純粋な気持ち)に基づくものというのは、プライベートにおける友人関係や恋人関係、家族・親戚関係において、例えば、「何もそんな言い方をしなくてもいいのに...」とか、「なんでそんなに怒っているの?僕が逆の立場だったら、そこまで怒らないんだけど。怒る理由がよくわからない。」とか、「え?その程度で、キレてしまうの?」とか、例を挙げだすと、正直、きりがないかもしれないけど、これは、ある一定レベル以上、親密になった関係で起こりやすいと考えられるため、仕事上というよりかは、プライベートで発生する確率のほうが高いという見方をすることもできると思う。しかしながら、仕事上の関係でも、師弟関係のような形になっていたり、お互い、もしくはその一方が、よくフォローしてもらったり、instruct(指導)が入っていたりとかすると、仕事上における関係でも、このpure emotion(純粋な気持ち)に基づく葛藤や不満、フラストレーションというのが、多種多様な形で発生してきたりするもので、ここに、disease emotion(病気起因性の気持ち)が入ってきたりすると、その「気持ち」を整理・処理していくのに、結構な時間が、かかってしまったりする。一時、自分も怒りの感情に、少し支配されそうな時があったけれども、その時には、その怒りの心情に合うような曲を聴いて、その「気持ち」を発散するというのが、非常に役に立ったのを、今でも覚えている。もともと、ONE OK ROCK(ワンオクロック)は、英語の勉強のために聴いていたミュージシャンだったのだけれども、その時は、「行き違いoutthere」というフレーズに乗せて、自分の怒りに似た心情を発散させることができたのは、本当によかったなあ...と、今振り返ってみても、そのように思う。イメージとしては、このような感情が、いわゆる、pure emotionのイメージだ。よく、YOUTUBEでも、仕事の愚痴や、人間関係の不満などを載せている動画が、たくさんあるけれども、これも、この気持ちの整理と処理をしていくのに必要だろうと、当事者たちは思って、制作している側面も、確実にあるのだろうなあ...と、改めて思う。
言ってしまえば、このブログを書いているのだって、自分の気持ちや、出来事の整理をするというfunction(機能)の側面だって、確実にあるし、こうして、自分のことを振り返ってみて、「今、どう思っているのか?」といったことに対して、少し思索に耽ってみることと言うのは、過去のことを振り返ってみることになってしまうかもしれないが、それはそれで、それなりにeffective(有効)なんだろうなあ...と、思っていたりする。どうしても、気持ちの整理と言うと、「誰かに話を聴いてもらう」であったり、「カウンセリングを受けたり」といったケースが、クローズアップされがちだけれども、それ以外にも、その時々の心情に合った曲を聴くであったり、ブログを書くであったり、ツイッターでつぶやいてみるだったり、はたまた、愚痴や不平不満も交えて、YOUTUBE動画を作成してみる...であったりも、当然のことながら、「自身の気持ちを整理」していく上においては、非常に有効な手段(選択肢)なんだろうなあ...と、他人のYOUTUBEを視聴していると、しみじみと思う側面がある。そのような、一種のストレス発散のツールの一つにもなっていて、かつ、誰かの役に立てて、さらに収入にもつながるとなれば、それはもう、YOUTUBE冥利につきるというか、アルファベット(GOOGLEの親会社である持ち株会社)冥利につきるのではないだろうか。ただ、あまりにも、愚痴や不平不満ばかりの動画ばかりがアップされていると、正直、ちょっと見苦しいなあ...と思ったり、正直、時間の無駄なんじゃないかな(汗)と、思わせられたりすることから、会話と同様、なんでもかんでも、言葉にアウトプットして、自分が発散できればそれでいい!というのは、ちょっと違う気がしている。それを踏まえてこその自己有用感(自分が他人や他者の何かに役立っているという感覚)でもあると思うし、自己肯定感(self esteem)でもあると思うので、もう少し、YOUTUBEにアップロードするからには、客観的な視点も、それなりに持ち合わせて欲しいところだな...と、感じてしまったりする。