自律神経系統から来ているであろう、腕のしびれや、足のしびれがある時など、どのように対処すれば、その症状から解放されるのか?と、ちょっと考えたんだけど、本当は、Dr.ストレッチなどのストレッチ専門店を活用して、徹底的に、ストレッチを行うというのは、一つの方法だとは思うのだけれども、それでも、視神経の疲れや、手足の末梢神経や、自律神経系統に対して、十二分にアプローチしたとは言い切れない側面が、正直、ふんだんにあると思っている。特に、足のしびれについては、「歩く」ことによって、血流をよくすることによって、(結果として)足の神経系統の流れを良くしていく...という、発想自体もあることから、積極的に歩きに行くのかor積極的に休みに行くのかというのが、正直、迷いどころというか、判断に迷うところがあると思う。
これに対して、腕や肩まわりなどのしびれについては、ストレッチを、きっちりと行ったあとに、その「しびれ」の感覚が、ある程度、なくなっていくまで、リラクシングチェアなどで安静にしていれば、自然とその症状自体は、消失していくかと思われるから、あまり、迷いどころというのは、実質的には、ないかと思われる。
また、それに加えて、頭を使う量と、身体を使う量が、極端にアンバランスになってしまっても、この「しびれる」かのような感覚の発生確率というのは、もしかしたら、少し上がってしまうのではないかとも思っているが、正直、身体をスポーツなどで、使い過ぎていても、これまでの経験上、同様の「しびれ」のような症状が発生する時は、少なからず、あったように思う。結局、要は「心身にかかるプレッシャーの総量」の問題なのではないだろうか...というのが、今のところの僕なりの結論だ。身体にプレッシャーがかかるというのは、非常にわかりやすいのだが、問題なのは、「心」に対してプレッシャーが、かかってしまうケースだ。この「心」に対するプレッシャーを軽減する手法の一つとして、日本語を英語に変換して、英単語をイメージすることで、その「思考の感じ方」を、カジュアルなセンスに変えていくという手法があると思っていて、日本語で「思考」すると、仰々しい感じになってしまうけれども、英単語を交えて「思考」すると、かなりカジュアルな感じで、recognize(認知)できたりするというeffect(効果)があったりもした。
また、アニソンに「亡霊たちよ野望の果てに眠れ」という曲があるのだけれども、その歌詞が、「身体が心を信じて、置き去りにされたなら、崩れることを知りつつ、情けをかける。」といった冒頭から始まり、「ただ、愛しき日々を離さないでとささやく心を信じた。」というフレーズに結び付く。どうも、このアニソンと、この「しびれ」の症状が、「身体が心を信じて、置き去りにされて、手足の神経のバランスが崩れた。」という、この歌詞の解釈に、あてはめることができるような気がしてならない...というのは、僕の深読みだろうか?どうも、この歌を歌っていると、どこか、「他人事」ではないかのような感覚に陥ったりしたケースが一度や二度ではないし、もしかして、僕の症状のことを歌っているのだろうか...と、思ったのも、おそらく、一度や二度ではないような気がする。こういった歌詞をメロディーに乗せて歌うだけで、その時々の心情に本当に合った曲を歌うからこそのストレス発散効果というのも、本当は大きいものがあるのでは?と、思ったりもする。つまり、自分の「感情」が、素直に乗る曲というのは、その「曲」を歌うタイミングとして、非常に最適なタイミングだと言うことができるのではないだろうか...と、思ったりもしている。歌というと、ついつい、ラブソングに偏りがちな傾向こそあるが、こういう日常生活に発生しうる可能性があるsituation(状況)や、心境を歌うことができる歌詞の歌こそ、実は、ストレス発散に、一番、使えるのではないか...と。そして、その効果は症状に対するfrustration(葛藤)が大きければ大きいほど、その歌(art)は、その効果を大きく発揮してくれる...と、そのような見方も、あってはいいのではないだろうか。