一般的に不安に思っているのであれば、その「不安に思っていること」を、「話す」ことをしたり、「書く」ことをしたりして、その時々の自分の心情や、不安に思っている原因あるいは、原因の原因(真因というらしい)なりを、書き出していったり、話しながら、気づいていったりすることによって、少なからず、その「不安」という「感情」それ自体は、和らいでいくものだとは思うし、実際、不安は軽減されることだろう。ただ、この「不安」が、一切合切、全部、なくなる状態を、願っているのだとしたならば、それはそれで、所詮、無理な話だ...と、どこかで悟らなくてはいけないのかもしれない。
そもそも、僕自身、振り返ってみれば、この「不安」や「緊張」との格闘の連続だったと言っても過言ではないと思う。恋愛は恋愛で、能力面もさることながら、当然、不安であったし(学生当時)、大学受験は大学受験で、どこか、この「不安」と「緊張」との格闘だったような場面・場面も、どこかあっただろうし(特に、大学受験当日の試験日)、大学に入学したらしたで、今度は、バイトができるかどうかが不安で仕方なかった。(家庭教師のバイトや、日雇い派遣のバイトこそしたものの、塾講師や飲食店のバイトは、とてもではないけれども、できる気がしなかった。)だから、大学入学してすぐのころは、この「不安」と「緊張」を振り払うかのように、自分なりにベストを尽くして、会計・簿記の勉強をしていた。...というか、そもそも、大学をストレートで卒業できるかどうかも、当時は不安だったし、新卒で就職活動して、営業職としてやっていけるとは、とてもではないが思えなかったため、なんとしても、税理士事務所・会計事務所に就職できるように、税理士科目合格はしなければ!と、この勉強に対するエネルギーも、何割かは、この「不安」からくるものだったと言わざるを得ない要素が確実にある。
そして、大学1年次の簿記論1・簿記論2ともに、あれだけ、一生懸命に勉強したにも関わらず、単位取得こそできたものの、評定はギリギリの50/100(C)だった。内心、ヒヤヒヤものだったし、自分で勉強したり、資格の専門学校の簿記の問題集をやっていなかったならば、単位取得できなかっただろう(おそらく)。大学一年次に、日商簿記検定3級の試験も受験したが、69点で、1点足りなくて、落ちてしまった。
そして、僕がこの大学を選んだ一つの理由というのが、計修会という会計士や税理士を目指す人たちが集まる一種のサークルのようなものがあったから...というのも、結構、大きかった。ただ、実際に、訪ねてみたら、自習室で勉強している人も、ほとんどいないし、あまり活発に活動がなされている感じでもなかった。僕は、ここで、勉強仲間が作れる!と、思っていただけに、残念だったというのが正直なところだ。一応、大学一年次の時に、簿記を一緒に勉強する勉強仲間こそ、一人、作れたものの、どうも、これまでとは違って、お互いに、ただ、「勉強する空間を共有しているだけ」のような感覚があり、息抜きのための雑談それ自体が、なかなか思うようにいかなかった経験がある。まあ、勉強しているかor寝ているかみたいな生活をしていたから、なかなか、話それ自体も、ないことはないんだけれども、話題がないなら、ないなりに、勉強の話で、「時間を共有」している感覚を経験することができるだろう...と、踏んでいただけに、勉強それ自体も、なかなか面白くなっていきづらかった。ここらへんの体験・経験というのが、Mr.ChildrenのアルバムREFLECTIONに入っているFight Clubの歌詞と共感するようなところがあって、「たとえ敵でも、嫌いな奴でも、一人よりまだましだった。孤独が一番の敵だった。」や、「仮想的見つけ、そいつと戦わなきゃな。誰も相手になんかしてないのに。」みたいな歌詞の部分に、後からながら、「ああ、この時の体験・経験と、どこかかぶるようなところが、なきにしもあらずだな...」と、思わせられた。別に、敵と言うわけでもないけど、(敵は敵で、別にいたとは思うんだけど、そして、この「敵」も、よくよく考えてみたら、自分の中にかかったバイアスが生み出した「仮想の敵」なのでは?と、言う部分も、正直、なくはないと思う。)とにかく、「一緒に勉強する仲間が欲しい!」という欲求が先走っていた僕は、勉強はしなくちゃいけないけれど、とにかく、「孤独」は避けたかった...というのが、当時の僕の純粋な気持ちだっただろう。この「雑談」自体が、思うようにいかない感覚・センスというのは、大学一年次の入学時~7月頃(1学期分)まで、ずっとあって、おそらく、僕自身が上手に「自己開示」をできなかったという要因・要素も、あるにはあるとは思うのだけれども、とにかく、部活動以外で、「グループ」を作って、「上手くやる」というスキルに、どこか欠けていた僕は(まあ、当然、「外部環境要因」もあるにはあるとは思うんだけど)、「学内ダブルスクール」で、大原の簿記の授業を受講していても、なかなか親しい友人を作ることが、自然とできずにいた...というのが、当時の正直な実感だ。まあ、もともと、そもそも、部活動やバイトみたいに、コミュニケーションを取る瞬間・瞬間というのが、圧倒的に少ない以上、本当に、自分から、積極的に「自己開示」をしていかなければ、当然のことながら、親しい友人を作れる確率というのは、圧倒的に下がってしまうのだけれど。
この時期に、精神的に助けられたのが、高校時代の友人で、同じ大学に通っていた友人には、もちろん、助けられたし、帰りの電車の中で、高校時代の同級生に会ったり、カフェに誘ってくれる浪人生がいたり、自動車学校で、挨拶する同級生がいたりと、とにかく、精神的に、少しまいっていた大学一年次の一学期は、高校時代の友人に、かなり、助けられていた気がする。
ただ、大学一年次の一学期の最後あたりに、声をかけてくれた人がいて、その友人と話してからは、この少し精神的に、まいっていた部分が、大学のキャンパスライフ内でも、だいぶ、和らいだかなあ...と思う。まあ、ものすごくシンプルに考えると、大学入学直後に、いろんなサークルの人たちから声をかけてもらっているんだから、素直に、そういうサークル活動に参加して、飲み会に行けばいいんだよ!と、言われそうだけど、当時の僕は、あくまでも、あらかじめ、「一生懸命に」勉強していないと、おそらく、「単位」が危ういだろうな...と思われるコンディションレベルかなと、どこかで自覚していたのも、あいまって、あくまでも、「計修会」を頼りにしよう!という戦略を立てていたが、これが計算違いだった。
...と、大学一年次の一学期の頃の話を、ずいぶんと、持ち込んだけれども、これだけ、大学選びから、リスクヘッジから、あらかじめ用意周到に準備してみたところで、結局、ミスチルのFight Clubみたいな心境に陥ってしまったりする。だから、「不安」があるから、「準備」しよう!とか、「不安」だから「用意」しよう!というのは、それはそれで、大切なのかもしれないが、ある程度まで、準備や用意をしたら、あとは「なんくるないさ~(固い表現で言うと、人事を尽くして天命を待つ。本来の意味は、流れに身を任せる)」の精神で、あまり、「力技」を使わずに、「緊張感」をあまり持たずに、「なんとかなるさ~」という気持ちを、常に忘れずにいたいところだ。