本(書籍)の内容を、どこまで信じてしまっていいものなのだろうか...という迷いや、音楽の歌詞のフレーズに、自分のその時の心情とかぶるものがあるからといって、その音楽の歌詞に意識を、(無意識のうちに、)向けながら、どこまで、歌ったり聴いたりすればいいものなのだろうか...と思ったりする瞬間が、最近、ふと出てくる時がある。もちろん、その時々の「自分の気持ち」や「自分の意見」あるいは、「自分の心情」を、まるで代弁してくれるかのような本や音楽であればあるほど、僕に限らず、誰であったとしても、「これは素晴らしい本だ!」とか、「これは素晴らしい曲だ!」とか、無意識のうちに、そのように思わせられたりするのではないだろうか。少なくとも、「素晴らしい」とまでは行かなくても、「(この本(曲)があって、)助かった」という気持ちや心情は、人間、誰しも抱くものだと思う。

 僕も正直、「ホリエモンの本があって助かった!」や、「Mr.Childrenの曲があって助かった!」など、正直、その作品を読んだり、聴いたりした当初は、「助かった!」よりも、「素晴らしい!」と、どこかで、そう思っていたりする自分がいたと思う。しかしながら、正確に表現するならば、「素晴らしい!」というよりかは、あくまでも、ただ単純に(シンプルに)「(気持ちを代弁してくれて、)助かった!」という表現が適切だと思われる。

 本や音楽に限らず、人と言うのは、よく「自分に同調(同じ意見)してくれる人」を、あくまで、「いい人」と思ったりする傾向があると思うんだけれども、この「いい人」が、本当の意味で、「素晴らしい人」なのかどうか?と、問われると、正直、即答できる人は、そう多くはないのではないだろうか。正確に表現すると、「自分と同じ感性・感覚を持っているようだから、これなら、ふとした瞬間に、ぶつかる可能性が低くて助かるし、居心地も良い。」というのが、正直なところなのではないだろうか。ただし、これはこれで、はっきりいって、すごくよくわかるし、実際、僕自身も、その都度、その都度、反対意見を出されるようなコミュニケーションを普段の日常生活から取っていたら、それはそれは、本当に疲れてしょうがないかもしれない。まるで、プライベートの時間が、ディスカッションの時間になってしまうかのような錯覚にも陥ってしまうことだろう。(もちろん、ある「テーマ」が定められたディスカッションであるのならば、それはそれで、非常に有意義だし、大学のゼミなどに代表されるように、貴重な体験・経験の一つだと思う。だからこそ、僕も、それと似たような体験・経験がしたいと思ってからなのかなんなのか、よくわからないけれども、英会話カフェや、英会話学習会などに積極的に参加していた時期があったんだと思う。だから、ここで言う、ディスカッションが疲れるというのは、日常生活の雑談すべてが、ディスカッションになってしまうことを意味している。)

 話をもとに戻すと、この本を読んだり、音楽を聴いたりして、気持ちを代弁してくれて助かった!という体験・経験は、どこか、親しい誰かに、悩みを打ち明けて、共感してもらうことに、どこか似ているのではないだろうか...と、少し思ったりもする。仮に「悩み」ではないにしても、自分の意見に、「うん。うん。わかるよ。」と、共感してもらうことによる、安心感や安堵感、あるいは、気持ちがつながっている感じ...というのが、単純に、comfortable sense(心地よい感覚)だというのにも、どこか似たようなセンスがあるような気がしてならない。

 正直、昔は、意見が違ったり、異なったりしたら、ただ単純に、ディスカッションをするかor「へえ。そうなんだ~。」で、すませれば、いい話だと思っていたんだけど、なんだかんだ言っても、この「気持ちを代弁してくれて、助かった!」という気持ちほどではないにしても、「共感できる箇所」がある人のほうが、そうでない人よりも、comfortable sense(心地よい感覚)になれる確率が高いため、結局は、そのほうが、人付き合いが上手くいく可能性が高くなるんだなあ...と、改めて、そう思わせられたりもする。まあ、そもそもの「共感できる箇所」を探すためには、比較的、「共通の話題」を見つけなくてはいけないから、どうしたって、当然のことながら、同じようなルーツを持っている人同士が、集まることになる。でないと、同じ共通の「話題」のつもりで、話を振っていても、共感できる箇所が見つからないばかりか、話それ自体が、成立しなくなってしまいかねない。
 もちろん、本や音楽には、「気持ちの代弁者」というより、「新たな発見」や「新たな気づき」を与えてくれるものもあるから、そういった役割だけではないにしても、本音をなかなか話しづらい、この国の人間関係の中では、この「気持ちを代弁」してくれるかのような本や音楽の存在と言うのは、なんだかんだ言っても、非常に大きなものがあるのではないだろうか。