よく大学受験の時に、「上京して、東京の大学に行く」と言う、地方の高校生がいると思うけれども、正直、わざわざ、地方から東京に出向いて、東京の大学に奨学金を借りて、それに見合う収入(リターン)が、将来にわたって得ることができるのだろうか?と、ふと疑問に思う時がある。特に、私立・国公立問わず、文系の大学の場合には、自分の専攻した学問領域が、そのまま、仕事に結びついてくれるというわけでもないため、正直、仕事の現場において、大学で学んだことを活かす(活用する)場面が、管理部門でもない限りは、なかなか出てこない...というのが、正直なところではないだろうか。もちろん、その道の修士課程や、博士課程まで進んで、研究者の道を志すといった道もあるにはあるのだけれども、特に日本の場合には、ある意味、その道を選ぶには、相当の覚悟と勇気がいることで、かなりの少数派だと言わざるを得ない。だからこそ、文系の大学の場合には、大学での授業以外の時間で、「何をするのか?」といったことが、かなり問われてきやすいとは思っていて、その典型的な過ごし方が、ゼミやサークル、家庭教師や、塾講師をはじめとした、大学生特有のバイトから、飲み屋のアルバイトや、スーパーの店員といった、臨機応変な対応が求められてくるアルバイトといった過ごし方だ。

 正直、文系の大学に進んだ場合、日本では、新卒一括採用で「総合職」として、営業職としてのポジションを、まず最初に任せられるといったケースが非常に多いと思われる。僕は、この「総合職」として、いきなり、営業職でやっていける自信がなかったからこそ、公認会計士試験や税理士試験といった、いわゆる、難関と呼ばれる資格試験に絞って、早い段階から、大学と資格の専門学校とのダブルスクールを開始していた。正直、周囲の大学生との足並みを全然、揃えられないようで、少しはがゆかったというか、もう少し、キャンパスライフをエンジョイしたかった気持ちもあったのだけれども、いわゆる「士業」と呼ばれる「専門職」に就くためには、どうしても大学1・2年次から学習を開始しなければいけないため、キャンパスライフをエンジョイするといった形の大学生活とは程遠い生活になってしまっていた。

 ...と、ここまで、自分の大学生時代を振り返ってみたけれども、正直、文系の大学生で、新卒の段階から、いわゆる「専門職」と呼ばれる、言い換えれば、「士業」と呼ばれるポジションに就こうと思ったならば、どうしたって、大学1年次もしくは、遅くとも、大学2年次から、資格の専門学校に通っておく必要性が出て来てしまう。ここが、理系の大学生と大きく違うところだと思われる。理系の大学生の場合には、わざわざ、TACなどの資格の専門学校に通わなくても、その大学の履修プログラムだけで、実質的には、目一杯になってしまうだろうし、実際、卒業したら、いわゆる「専門職」や「研究職」あるいは、「エンジニア」として、やっていかなくてはならないため、必然的に、大学の「授業」に対する真剣度や態度というのも、変わってくるのではないだろうか。この「授業」に対する「真剣度」といった観点から見た場合、少し話は逸れてしまうけれども、大学に通わずに、何らかの専門技能を身に着けるための専門学校に通っている学生も、同様の「真剣度」があるだろう。なぜならば、その資格試験を突破しないと、その「専門職」に就くことができない...あるいは、「専門性」を武器にできないためだ。したがって、一生懸命、勉強していても、周囲からういた存在になりにくいのは、必然的に、理系の大学あるいは、専門学校だと言うことができるだろう。ただ、僕が文系の大学で、よかったなと思った部分としては、高校時代の友人とバッティングセンターやカラオケに通う時間がとれたことや、多少、頭が重くても、大学の授業の単位をきちんと取得することができたこと、資格の専門学校であるTACでも友人に出会えたことや、家庭教師のバイトを大学2年次から2年間行ったり、ホームセンター、工事現場、引っ越し屋のバイトを単発でこなしたり、ベネッセの学習アドバイザーのネット回答などをこなしていくことによって、少なからず、自分に対して、「働く」あるいは、「働こうと思えば、働ける」という実感と自信を少しずつ、つけていくことができていたんだと思う。

また、自動車の教習所やパソコンスクールに通ったり、横浜心理トレーニングセンターというところで、自律訓練法とバイオフィードバック法のトレーニングをする時間が取れたことも、ある意味で、文系の大学だったからこそ...だったのでは?と、思ったりもするし、今、振り返れば、片道2時間以上かけて通学する時間、電車の中で、漫画を読んだり、自己啓発本を読んだり、税理士試験の財務諸表論の理論暗記をしたり、音楽を聴いたり...と、正直、無駄とも取れるような、無駄に長い通学時間も、実は無駄にはなっていなかったんだなあ...と、改めて、そう思わせられたりもしている。

 一般的な話としての、文系の大学では授業以外の時間に何をするのか?とは、結構、話がずれてしまったけれども、改めて書いてみて、文系の大学には、文系の大学の良さというものがあるし、確実に、それに救われた自分もいたし、コンディションが、あまりよくないながらも、無事に4年で卒業できたというのは、自分で言うのもなんなんだけど、自分自身の努力と、あとは、学問領域に純粋に興味が持てていたこと、そして、「数学的な素養」が理系の大学ほど、自分の大学・学科において問われてこなかったこと(数学を少し使ったのは、経済学ぐらい)、単位を取得するのが、なんだかんだ言っても、そこまで、難易度の高いものではなかったこと、あとは、倫理学の講師の先生に親身になって相談にのっていただいたこと、話しかけてくれる友人がいたことなど、さまざまな要素がある。...と、客観的に振り返ってみると、「なんだ。結構、良いこともあったじゃないか。」というのが、ここまで書いてきて、改めて、そう思った。