ひと昔前に、ツイッターを使って、自問自答を繰り返していた時期があったのだけれども、それと、アメブロを使った記事を書くというのは、使う頭(左脳)の性質が、少し異なっているのではないかな?と、両方、試してみて、今、改めて、思ったりしている。これは(このことは)、ランナーで言うならば、短距離走か中距離走かの違いのような気もしていて、当然のことながら、まず、単純な、書く文章の量の違いがある。もちろん、ツイッターでも、たくさん、ツイートしていけば、その文章の絶対量というのは、増えていくのだけれども、はじめから、「長文」を書くことを前提としているブログ記事の場合には、ある意味、「パッと思いついた瞬間、パッと書き留める」といったような性質のものではなく、「なんとなく、書き続けてみたら、こんな記事になった...」あるいは、「はじめから、何らかの帰結する目的に基づいて書いていたら(意識的にせよ、無意識的にせよ)、結果として、こんな記事になった...」というのが、正直な感想で、「何かを書き留める」かのような感覚というか、sense(感覚)が、ツイッターとは、ある意味、一線を画しているというのが、両方、試してみた僕の正直な感想だ。

 当然のことながら、文章力それ自体を鍛えるのであれば、ツイッターよりも、ブログのほうが鍛えられるわけなのだが、はじめのうちは、何らかの本を読んでみた感想とかを、書いていったほうが、かなりとっつきやすいし、「自分の意見」が何なのか?ということを、本の内容と、明確に区別することができるために、ある意味において、頭の整理にもつながっていくかと思う。本の感想というと、小学校の時の読書感想文を思い出し、「あれは、大変だったなあ」といった感想を持つかもしれないが、本の中の一フレーズに対する、自分の感想を、一つ一つ、書いていくとなったならば、どうだろうか?実際、僕のブログ記事の最初のほうに載せている本の感想文というのは、本の中の一フレーズごとに対する、自分の感想や意見を述べているだけであって、本全体に対する感想というのを、要約して、まとめて書いているわけではなかったし、実際、それを頭の中で整理して、話せる人もいることはいるのだろうけれども、その左脳負荷的には、かなりのものがあるのではなかろうか...というのが、僕の正直な感想だ。一回、ノートにまとめなくても、本の感想を話せるかな...と、期待して、読書会なるものに参加したことがあるが、結局、上手に要約できていた気がしない。

 結局、ツイッターにおける自問自答のツイート練習が、短い文章を大量に書いてみるということの訓練(トレーニング)につながっていて、このツイート経験があるからこそ、長文でのブログ記事の生成ができるようになった...という見方もできなくはないのかもしれない。ただ、それ以上に、自分の生活における何らかの紹介をするという目的のブログでないのならば、普段から、本を読んだり、聴いたりしていたほうが、「ああ、長文ってこんなふうに作っていくんだ...」という実感が伴うだけに、ある意味における「文章のつなぎ方」というか、「文章の連結方法」のようなものが、上達・改善しやすい(progress or improve)という側面があることは否めないだろう。ただ、最初から、このテーマについて書くぞ!と、意気込んで書くタイプのブログというのは、僕の場合には、ほとんどなく、あくまでも、なんとなく書いていたら、こんな記事ができあがった...という形式の作りこみ方になっているし、それは、ツイッターについても同様のことが言える。

 よく、他の人のブログやツイッターを読んだりしていると、僕のブログよりも、具体的でわかりやすいorどんな日常生活を送っているのかがイメージしやすい...という性質を明らかに有しているなあ...と、思うのだけれども、僕は、もう少し、生活感を出したブログを書けたらいいのになあ...と、(他の人のブログを見ると、)思ってしまったりする。

 その一方で、この「特にテーマがなく、なんとなく書いている」だけでも、ブログ記事が成立してしまうというのは、それはそれで、一つの才能だなあ...とも、思ってはいる。このことは、僕の普段の日常会話においても、ある程度、言えることだと思っていて、そんなに、あらかじめ、話を作りこんでイメージを膨らませていないにもかかわらず、いざ、話してみると話すことができるし、オンライン英会話に至っては、特に、その傾向が顕著だと言うことができる。オンライン英会話の場合には、もちろん、わからない単語などについては、ポケトークという翻訳機を使いながらではあるのだけれども、基本的には、自分もオンライン英会話の相手(foreigner)にも、会話の内容を楽しんでもらえているような表情をしているケースが、比較的、多いみたいだ。ただし、これは、「1対1」のコミュニケーションを前提としているからであって、大勢のグループの中で、空気を読みながら、話題についていく...となると、これまた、話が変わってくる...というか、このスタイルのコミュニケーションでは、僕は明らかに劣っていると言わざるを得ないだろう。だから、プライベートでも少人数で会うのが好きなのは、こうした自分の特性も、当然のことながら、絡んできているのだと思う。