私は世界地図や地球儀を眺めることが多い子供でした。
漠然とですが幼いころから海外に興味があったので、
海外の生活を放送するテレビ番組を見ては、その国がどこにあるのか地図帳で確かめ・・・いつかその町を訪ねてみたいと思いをはせていました。
私が育った家庭は裕福とはいえず、海外旅行など夢のまた夢でした。
テレビや本で見る風景を地図と重ね合わせては、「もし私がそこに行けたら・・・」と想像。その町の人はどんな生活をしているのだろう、どんなものを食べているのだろう・・・妄想はとまりません(笑)
中学生だったある年の夏休み、スイスから絵葉書が届きました。
友人が休暇を利用して旅をしていたのでした。
初めてもらう海外からの絵葉書に大興奮したあの感覚は今でもよく覚えています。
「いつか私も行ってみたい・・・」
海外に住む人と直接交流をしてみたい。絵葉書を貰いそんな気持ちにも駆られていた頃
私の通う学校に英語指導助手として赴任してきたアメリカ人の先生が、現地の学生と海外文通をしてみないかと持ちかけてきました。
海外に行くことは難しくても、この方法だったらもっと海外のことを直接知ることができる。
私はすぐに申込み、フィラデルフィアに住む女の子と文通を始めました。
大病をして勉強が遅れ、英語も全くと言っていいほど得意ではなかった私ですが、先生や辞書、英文例文集を片手に必死で手紙を書きました。
当時のお陰で英語力がついたかというと・・・正直答えはNOです。
ただ、英語に対する苦手意識は無かったことが幸いでした。「外の世界が見てみた」という思いが勝っていたためです。
日本とは違う便箋や封筒、たまに届く雑誌や写真・・・。家に帰るのが楽しみで仕方ありませんでした。あまりにも楽しくて、ピーク時にはかなりの国の人と文通をし、日本に居ながらにして世界旅行をしている気分でした。
実際に私が海外に渡航できたのは23歳の時です。
「外の世界が見てみたい」・・・そんな思いが芽生えてから10年以上の月日が流れていました。それは妹の留学先を訪ねるというもので、初海外はアメリカでした。ちなみに飛行機自体も初搭乗。英語もできないのによく一人で乗り込んだものだと、今考えると当時の自分に苦笑いです。
そんな妹も私の影響か、子供の頃から海外に興味を持つようになったのですが、もちろん留学費用を捻出できるだけの財力は我家には無く、彼女は学費・生活費すべてを賄ってくれる奨学金を得て海を渡ったのでした。そんな妹のバイタリティには脱帽ですし、彼女が留学してくれたおかげで私も海外に行くことが出来たので感謝の気持ちしかありません。
私も妹も往生際が悪いのか、けっして諦めませんでした。諦めないことが夢を実現させる第一歩なのかなと思っています。そしてチャンスが訪れた時に掴めるだけの力も必要だと思っています。
漠然とですが幼いころから海外に興味があったので、
海外の生活を放送するテレビ番組を見ては、その国がどこにあるのか地図帳で確かめ・・・いつかその町を訪ねてみたいと思いをはせていました。
私が育った家庭は裕福とはいえず、海外旅行など夢のまた夢でした。
テレビや本で見る風景を地図と重ね合わせては、「もし私がそこに行けたら・・・」と想像。その町の人はどんな生活をしているのだろう、どんなものを食べているのだろう・・・妄想はとまりません(笑)
中学生だったある年の夏休み、スイスから絵葉書が届きました。
友人が休暇を利用して旅をしていたのでした。
初めてもらう海外からの絵葉書に大興奮したあの感覚は今でもよく覚えています。
「いつか私も行ってみたい・・・」
海外に住む人と直接交流をしてみたい。絵葉書を貰いそんな気持ちにも駆られていた頃
私の通う学校に英語指導助手として赴任してきたアメリカ人の先生が、現地の学生と海外文通をしてみないかと持ちかけてきました。
海外に行くことは難しくても、この方法だったらもっと海外のことを直接知ることができる。
私はすぐに申込み、フィラデルフィアに住む女の子と文通を始めました。
大病をして勉強が遅れ、英語も全くと言っていいほど得意ではなかった私ですが、先生や辞書、英文例文集を片手に必死で手紙を書きました。
当時のお陰で英語力がついたかというと・・・正直答えはNOです。
ただ、英語に対する苦手意識は無かったことが幸いでした。「外の世界が見てみた」という思いが勝っていたためです。
日本とは違う便箋や封筒、たまに届く雑誌や写真・・・。家に帰るのが楽しみで仕方ありませんでした。あまりにも楽しくて、ピーク時にはかなりの国の人と文通をし、日本に居ながらにして世界旅行をしている気分でした。
実際に私が海外に渡航できたのは23歳の時です。
「外の世界が見てみたい」・・・そんな思いが芽生えてから10年以上の月日が流れていました。それは妹の留学先を訪ねるというもので、初海外はアメリカでした。ちなみに飛行機自体も初搭乗。英語もできないのによく一人で乗り込んだものだと、今考えると当時の自分に苦笑いです。
そんな妹も私の影響か、子供の頃から海外に興味を持つようになったのですが、もちろん留学費用を捻出できるだけの財力は我家には無く、彼女は学費・生活費すべてを賄ってくれる奨学金を得て海を渡ったのでした。そんな妹のバイタリティには脱帽ですし、彼女が留学してくれたおかげで私も海外に行くことが出来たので感謝の気持ちしかありません。
私も妹も往生際が悪いのか、けっして諦めませんでした。諦めないことが夢を実現させる第一歩なのかなと思っています。そしてチャンスが訪れた時に掴めるだけの力も必要だと思っています。