「What is your occupation?」

筆記試験が終わり、緊張して臨んだ英語面接での質問。

お恥ずかしい話しですが、当時の私はoccupationがわからないという・・・残念すぎるレベル。はっきり言って、英語での面接はほぼ成り立たないという散々なものでした。

おまけに私、子供が大好きというわけでもなかったのです。なので保育経験もゼロ。
今の私が面接官として当時の私と会っていたのなら、「何しに来たの?」と言いたい心境(笑)

そんな悲惨な状況ではありましたが、運がついていたというか天は見放さなかったといますか・・・私は面接の順番が最後でした。試験が終わり、面接官と一緒に駅に向かうことになったのです。

駅に向かう道すがら、どんなに私がこのプログラムでアメリカに行きたいかと訴える時間がありました。何をどう話したのかはもう覚えていませんが、私の話に真剣に耳を傾けて下さった面接官の表情は今でもよく覚えています。


恥ずかしすぎる受験から程なくたったある日、封書が送られてきました。


「条件付き合格」


要は英語のレベルが全く達していので、また再面接しましょう。そしてそれまでの間に保育経験を積んでおいてねという、全てダメだし、熱意だけが認められた・・・そんな結果でした。

それでも、条件付きでも道が開けたことが嬉しかった。仕事の後に英会話教室に通い、休日は知人の子供をお世話させてもらうことで保育経験を積む生活を始めました。がむしゃらな毎日でした。

条件付き合格をもらった時、両親に退職してアメリカに行きたいことを伝えました。最初は共に反対。アメリカに行ったらもう戻ってこないのではないか・・・そう思っていたようです。なんせ父は私が地元で見合い結婚することが人生ゲームの上がりだと思っていた人なので。当時付き合っていた彼もそう。私のアメリカ行きには反対しました。

母はせっかく転職したのに3年でやめてしまうのはもったいないと言っていました。
仕事は確かに好きだったのですが、仕事をステップアップさせるうえでも英語力は必要だし、今このこのタイミングでどうしてもアメリカに行ってみたいと強く感じていたのです。

病気をし、それが原因でいじめにあい、自己主張することのなかった子供時代の私。そんな私を親は何もできないと思っていたのか、私のために人生のレールを敷いてくれ、私はその上を走ってきました。でも、その転職の頃から自分の人生レールは自分で敷きたいと思うようになっていたし行動に移せる時期にきていました。

自分の人生だから、他人のせいにして諦めたくなかったのです。


冬から春に向かうころ、私は英語の再試験をパスし、両親も私の意志を尊重してくれるようになりました。彼とは別々の人生を歩むことに決めました。

紆余曲折はあったけど、それから数か月後に私は退職し、ニューヨーク行の飛行機に乗っていました。マイナスからの出発だったけど、諦めないで掴んだこの経験は私の自信にもなりました。