、私が思う
「自分を大切にする」こと
っていうのは、
自分で自分を大切にする」こと
なんだなぁと、
この1年半の間ずっと、
心やファッションの勉強をしてきたこともあって
最近つくづく実感するようになった。
 
 
 
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横浜を拠点に活躍する
ファッションカウンセラーのMAKOです✨
 
 
☆★☆MAKOのファッション情報☆★☆
 
身長⏩165 ㎝
体重⏩53㎏
足のサイズ⏩25㎝
 
骨格診断タイプ⏩ナチュラルタイプ
パーソナルカラー⏩イエベ
 
ファッションスタイル⏩カジュアル
ファッションのこだわり⏩年を重ねるごとにカッコイイ!
お気に入りアイテム⏩中折れ帽子
 
 
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「自分で自分を大切にする」ようにしてきてたら
気づかぬうちに少しずつ変わってきていたようで
1年以上経って気づいたのは
他人をねたまなくなってる私がいること
他人と比較することがかなり減ったこと
 
 
これは、私史上初めてのことかもしれない
物心ついた頃から周りの家と違うと不足を感じていて
誰かの家と自分の家を比較してたから
 
 

年齢があがってくと家や家族を比較するだけでなく

自分のことも比較しはじめて

いつの間にかいちいち全てを比較するようになって

その比較グセが染み付いて当たり前になってしまってた

 

 

常に誰かが妬ましくって

常に何かがうらやましかった

だから常に誰かや何かを恨んでた

 

 

子供の頃はいいな、いいなってうらやむだけで済んだけど

だんだん年齢を重ねるごとに

その思いを払拭するために

同じかそれ以上のものを得ようと努力し始めた

 

 

比較グセは習慣になってしまい、

無意識に比較せずにはいられない状態になってた

だから、何を得ても習得しても手に入れても

何ひとつとして満足することができなかった

 

 

その状態はすごく苦しかった

エンドレスだった

まだ足りない、まだ足りない

もっと上がいる、さらに上がある

 

 

40年以上その負のループを

グルグルグルグル回ってた

回ってる時は同じこと繰り返してるなんて分からなかった

 

 

上手くいかないのは

回り方が悪いのか、速度が悪いのか

向きが悪いのか、時期が悪いのか……

うまく回ることしか考えられなくて

回るのをやめるっていう選択肢は浮かばなかった

 

 

どっかで回るのをやめたら

自分がダメになる

大変なことになるとさえ思ってた

 

 

自分は比較することがただのクセだと思わずに

ものすごい欲深いなんて奴なんだと思ってた

 

 

 

ゴールがないから生きづらくて苦しかった

巡り巡って1年以上かけて心の勉強してきた

自分ととことん向き合うことから始まって

知識やノウハウだけでなく

実生活で体験や挑戦を重ねてきた

 

 

以前よりは思考が少し楽になったように思ったけど

それでも自身は根本的には変わってる気がしなかった

 

 

今年に入って好きなファッションを学んだ時に

いや、正確には学び終わったあとに

あれ?って気づいた

 

 

40年以上常に
ねたみとうらやみの塊だった私なのに

 

 

ファッション界で出会った人達はみんなオシャレ星人宇宙人くん

アパレルや美容業界に従事してる人が多く

みんなオシャレにずっと携わってきた人達だ

着こなしもうまければ、知識も豊富。

向上心もファッションレベルも高い!

 

そう、比較の対象が周りにゴロゴロしてた

 

 

ねたみ放題だったじゃん!

「どうせ、わたしなんて…」って言いたい放題だったじゃん!

 

 

うらやみ放題だったじゃん!

「いいなぁーいいなぁー、それに比べて私は……」って

比較し放題だったじゃん!

 

 

見回せば

妬みや羨みや恨みの

ネタの宝石箱だったじゃん!

 

でも、その時はそんな気持ちにならなかった

 

 

素敵だなぁ~とは沢山思ったけど

いいなぁーいいなぁー、うらやましいとか

はぁー私なんてとか

そう言えば、一度も思わなかったな~

 

 

他人は他人、自分は自分

自分と他人は同じ土俵で比べることなんてできない

ってちゃんと分離できてたみたい

 

 

今でも時々無意識に比べちゃっうこともあるけど

でも、指摘されたり、そうしてることに気付けば

あー、これもうしなくていーんだったって思える

 

 

これも「自分を大切に」のひとつだと思う

比較すること自体、

そもそも自分を尊重してない行為だと思う

 

 

それから

自分を大切にするうえで大事だったのは

自分で自分を知ること

 

 

これが結構難しい

だからつい、他人に答えを求めたくなる

 

 

私は心が感じる前に頭が先に回るから

頭が先回りして心が感じ方を誘導する感じ

 

 

悲しいことがおこったとき

頭がすぐに「これは傷つくよな」と思ったとすると

泣いていいか、怒ろうか、平気なフリするか考えてる

 

で、その次の瞬間に胸が締め付けられる感覚がきたりして

ここは泣こうと思ってそれから泣いたりしてる感じ

 

心が感じた時にはもう頭が状況を分析したり

どの方向に持っていこうか瞬時にいっぱい考えてる

 

 

長年、頭が感じたことを

心が感じたことだと思ってきた。

頭が感じたことだから

瞬時に答え(結論)は出てしまって

味わうとか感じきるとか浸るとかができなかった

その感覚がずっと分からなかった

 

 

これはまだ実感することが難しいんだけど

最近は頭が先に回ったなって感じに気づけたら

心はどうなのか見えないまでも

意識を心に向けるようにしてる

例え分からなくてもただどうだ?って心に向けるようにしてる

 

 

その効果と言うかは今の所分からないけどさ

 

 

とにかく今こうしてやっと

自分にフォーカスして

自分で自分と向き合うことができてきてる

 

 

ファッションで学んだ診断を使って

自身の所有しているファッションを通じて

自分の思いと向き合ったり、

裏にひそむ心理を知るきっかけになってる

心理学で学んだ気づきとつながっている

 

 

 

あなたは○のタイプだから

◇は合いません

だから○がピッタリ合いますっていうのは簡単だ

 

 

でも、それだけじゃ腑に落ちない

あーそーなんだー

なるほどねー

くらいにしか思えない

私はそうだった

 

 

診断の答えをただ知るだけじゃなくて

その答えとともに

自分で自身と向き合ってみたから

気づけることがたくさんあった

 

 

自分で気づけたから

自分のこと自分で深く分かってあげれて

そのうえで、診断をどう取り入れるかみえてくる

 

 

答えだけ知っても

他人にこーですよって言われても

たぶん取り入れようって心は動かなかったと思う

 

 

心が動かないと

変えようとか変わろうとか変わりたいと思っても

でもなーって行動には至らないだろうと思う

 

 

 

だって行動って

手間もかかるしー

時間もかかるしー

お金もかかるしー

労力もかかるしー

色々考えなきゃならないしー

 

 

こうして言葉だけ羅列すると面倒くさいのオンパレードだ

聞いて理解するのは簡単だけど

行動するのは色んな「面倒くさい」ものがつきまとう

その「面倒くさい」色んなことを

自分自身で自分にどれだけかけてあげれるか

自分を大切にするって具体的にそういう行動だと思う

 

 

 

そんな暇ないしって

そんなお金ないしって

そんなの簡単にできたらやってるわよって

何もしないで同じグチ言って今まで通りが一番楽なのかも

 

 

自分を大事にするためにお金使ってまーすとか

誰かにやってもらうとは違うんだな

 

自分が手間をかけて

自分が時間をかけて

自分で労力もかけて

自分でやることが自分を大事にすることだと思った

 

 

 

そう考えてみると、

私はずっと自分のこと

忙しい忙しい(面倒くさい)って

やることいっぱいあるって大事にしてあげてなかったなー

 

 

と、やーっと気付けたので

「自分で自分のこと大事にする」をしていきたいと思ってる

 

 

 

久々なので長々と書いてしまった

なんか、たまってたみたいニヒヒヒヒヒヒ