こんばんは。
紬木まこです。
ファッションから
本当の自分を知り
本来の自分にもどるために
心屋認定カウンセラーとして日々心と向き合い
骨格診断カラーアナリストとしてセンスを磨いています
今日は、久しぶりに
ブログを書きてぇーーっ
と、衝動的に思った。
数日前に久しぶりに他人の言葉が心に引っかかった
で、で、でだよ
相手は何気ない言葉だったかもしれないけど
他の人が聞いたらたいした言葉じゃないかもしれないけど
たかが言葉に
自分の感情とか思考とかが
すごい上がったり落ちたり迷走したり
グルグル動いて収まりつかなくなって
堂々巡り始まって
その状態から抜け出せなくて困ってた
今まではそうなったらどうしてたかというと
なにもなかったことにしていた
考えてもしょーがない
考えてる時間がもったいない
答えがないこともある
なんて風に自分に思い込ませて言い聞かせて
なにもなかったことにしていた
でも、これ、
自分の課題を先延ばしにしているだけで
何ヶ月後か何年後に
相手を変え品を変え
また同じことが起きるってことを学んだから
封じ込めパターンはやめて
できるだけその時の思いを感じきる
そしてためずに声に出して自分から出すをやったんだ
で、それだけじゃなんかまだくすぶってて
あづちゃんに聞いてもらったおかげで
自分の頭の中だけでは思い浮かばない考えをもらえて
だいぶ消化?浄化?できたんだ
今回はこのためない、出す、が
大事だったなぁと思ったんだ
ざっくりの内容は↓こんな感じ。
友達からメールで(ポイント1)
「まこは○○嫌いだよね」(ポイント2)
「分からないと思うから、分かりやすく言うと」(ポイント3)
「こんな話してごめんねー」(ポイント4)
別に嫌いじゃないよー(ポイント5)
経験ないから分からないだけ(ポイント6)
返事ありがとー(ポイント7)
既読つき返信なし(ポイント8)
まー見ての通り、
相手の言葉だけでなく自分の言葉まで
全てが引っかかってんのよ
(ポイント1)
まず、友達(ここかーいっ)ってところ
あづちゃんに話す時に
友人?友達?知人?知り合い?○○の人?同期?仲間?
もーなんて肩書つけていいか分からなくて迷ってんの
あれ?友達の定義ってなんだっけ?とか考えちゃって
プライベートで会ったこともなければ
個人的な話したこともないけど?とか
これで友達って言っていいのかな?とか
さんざん迷って「と、友達が…」って言ったけど
なんだか、むーんって歯切れの悪い感じになったな。
メールで良かった。
たぶん顔見られて話してたら、
「本当に友達と思ってる?」とか突っ込まれてそうなくらい
むーんが出てたと思う
(ポイント2)
だよねって「私=○○」って前提があるところ
疑問形じゃなく、問いかけでもなく?と
一瞬(勝手に私を決めつけないでよっ)ってムッとした
なのに次の瞬間、
あれ?嫌いって言ったことあったけ?
苦手とか、理解できないとか、
嫌いに通じるような誤解されるようなこと言ったのかも…
と、一旦自己否定し、
いや、そもそもそんな話した記憶ないし
誰かから(って、誰だよだけど)そう聞いたのかも…
と、疑念を抱く
誰が吹き込んだんだ?とかまで考え始める
これがグルグル思考の中で回り始めた
(ポイント3)
え?分からないとも言ってないし
分かりやすく説明してほしいなんて言ってないけど?
上から目線で言ってない?
それが分かるのが当たり前で偉くて、
分からないのは遅れてるとでも言いたいのか?
そもそも、そんなこと書いてないけどね。
言ってんのは私の思考の中だけなんだけどね。
そーゆーふうに言われてるように勝手に感じてんの
(ポイント4)
それ、本当に悪いと思ってのごめんじゃねぇべ?
てか、こんな話ならそもそもなんですんの?
(ポイント5)
本当はムッときたのに
語尾を伸ばしてポジティブな絵文字つけて
なんとも思ってない感を出してることに気付く
へんな空気にならないようにしてんの
明るい軽いノリを演出してんの
(ポイント6)
とはいえ、自分の言い分も言っときたいから
最大限に相手をムカつかせないように言葉を選んで
私は経験ないから分からないから仕方ないでしょ
理解してよねってちょっと否定的な文を送ってる
相手の同情というか同意を得ようと下手に出つつ
本当は自分が正しいを主張してるんだ
それは、書いてる自分自身がよく分かってるから
(ポイント7)
最後にありがとーなんてつけてる
これは、相手にとっても自分にも
最後嫌な感じで終わらせたくない表れ
たった数回のたった数分のやりとりの中で
こんなにも色んな感情が湧いて
思考を巡らせてる
相手を怒らせないように
自分の気持ちや考えを否定したり抑えたり
自分の言葉じゃないこと書いたりして
本当の自分の気持ちを隠して抑えてるんだ
言い返されるのが怖い
もめるのが怖い
嫌われるのが怖い
そんで一生懸命グルグル考えて
当たり障りなく
でも自分自身も少しは庇いたいから
少し主張もして
そんだけ頭使って心砕いて神経減らして
嫌われないようにと
円滑にことが進むようにと
あれこれ試行錯誤してやって
やってやってやって
結果は(ポイント8)
既読スルー
これ、結構くるね
言葉にして声に出して
出せるだけだしまくって感じましたよ
さびしいな~
報われないな~
なんかぼっちな気分だな~
…( ノД`)シクシク…
ひとしきり凹んだ後
ずーーと凹んでるまんまでいるなんてできなくて
「私のどこいけなかったの?」
なんて、また振り出しに戻りそうだった
これが堂々巡りのパターンだな
で、パターンやめるために他力、他力。
話してたら
考えたこともない考えが返ってきた
「好きだから期待したんでしょ?」
「嫌いだったら返事なくてもいくない?」
え?Σ(゚Д゚;エーッ!??
な、何、このかえし!
「好き」か「嫌い」かでなんて考えること?
で、改めてみつめてみると
今回も全てのポイントが
自分の物事の判断基準が
思考のベースが
「いい」か「悪い」か
「正しい」か「間違ってる」か
これがベースになってるんだって気づいた
そこで思い浮かんだのが
心屋塾のbeトレのDVD(Vol.6ジャッジしない)←だぶん
「好き」「嫌い」で選ぶって言ってて
何度も何度も見てインストールしたつもりになってたけど
で、それ以降「好き」「嫌い」で選択してきたつもりになってたけど
もしかしたら物質的なことに対してだけだったのかもしれない
もしかしたら私の「好き」は
「正しいから好き」だったのかもしれない
今までの経験的に正しくても
マナー的に道徳的に正しくても
それが自分の「好き」とは限らない
「好き」で選んでないと
ふつうこうするでしょと「正しさ」を押し付けようとしたり
「私は間違ってない」と恨んだり相手の矛盾探したり
「あの人おかしい」と批判したり同意求めたり
黒い気持ちが自分の中にずっとうずまいてる感じ
そんなことしてる自分好きじゃないな、
そんなことに気付けたできごとになりますた。
おかげで長々と引きずらなくてすみました
長っ