自分と向き合って

自分の過去にどんどん触れていくうちに

自分の心の奥深くに見つけた幼い自分

 

過去を思い起こしたときに

経験として覚えているのは

なんの違和感もない、普通でしょって思ってた

 

でも

その幼い頃の体験に伴った感情が

何十年経った今もなお変わらず残っていて

それをちゃんと終わらせてないから

何度も相手を変え事象を変え再現しているとは

最初はにわかに信じられなかった

 

その経験を糧に今があるとか

それを反面教師としてとかなら知ってるけど

大人になってからも体験していることが

子供の頃の体験と実は同じだったとは驚きだった

 

最初は全く受け入れられなかった

「何それ、なんか私が悪いみたいじゃん」

「同じ繰り返ししないためにやってるんじゃん、どこが一緒なのよ」って

 

でも、今起こる嫌な思いの本音は

掘り下げていくと確かに同じ嫌な思いを

過去にも確かに同じ思いを経験していた

 

本音を引き出すときは

何度も何度もしつこく聞いていく

最初からすんなりと出ないことが多い

 

最初は分からないとしらを切る、から

次第に怒って非難する、になり

そのうちいい訳をはじめ

やっと他人事のように話し出し

ようやく少しずつ本音が出てくる

 

自分のことなのに

心の奥底に隠した本音は

それ以上傷つかないように

何重にもガードがしてある

我ながら実に巧妙だなと思った

 

分からないで諦めれば覚えてないんだな仕方ない、とうやむやになり

怒りが湧けば相手が悪いことしか浮かばず、憎しみが増強する

言い訳を始めれば自分の正当性を主張するだけ、どんどん被害者になる

例え話が出始めたら、やっと向き合い始めた兆候だ

(この時点では、まだ直接自分と結び付けるのは辛くてワンクッション)

本音も出始めても、すぐに全部は出せない

 

少しずつ小出しにしながら

相手が受け入れるかどうかと

自分自身が思い出して耐えられるかどうか

反応を確かめながら少しずつ出せる

 

我ながら面倒くさい…(((*`皿´*)))

 

けど、これは「わたし」が傷つかないように

自分自身が何重にもガードを作って

一生懸命に私を守っているんだな~と思った

 

そう思えると、面倒くさいやつだなとも思うけど

「わたし」を守ってくれてありがとうとも思う

 

傷が大きければ大きいほど

ガードは固くて頑丈で複雑で

なかなか本音にたどり着けないこともある

 

傷があると思っているとどうしても守ろうとしてしまう

きっと無意識でも本能的に防御はしていると思う

 

ずっと昔についた傷

 

その傷に触れてももう痛くないかもしれない

その傷はもう治っているかもしれない

その傷は今なら治せるかもしれない

その傷は今もまだ痛いかもしれない

 

心屋塾で「大丈夫」をたくさん教えてもらった

その「大丈夫」をたくさん積んだおかげで

これまでずーっとできなかった

自分の傷と向き合う「勇気」が持てた

 

ひとつずつ傷と向き合って

さらけ出して癒していけると

そのことが「大丈夫」になってまた積まれる

 

私はなかなか「大丈夫」と思えなくて

ちょっとスタートが出遅れたな~と思う

まっ、でもこれは競争ではないから

どうやっても自分のタイミングでしかできなかった

 

とことん自分と向き合ってあげたいって思う