私には優しさがない
私には思いやりがない
と、自分のことをそんな人だと思っていた
でも、
本当は優しさが「ない」のではなくて
優しさを上手に表現できないだけで
思いやりが「ない」ではなくて
思いやりを表せないだけで
どちらも私にない訳ではなかった
ずっと自分にないと思っていたけど
それ、本当かな?ってまず疑って
いつから「ない」って思ってるんだろうって
「ない」と思い当たる出来事を
どんどんノートに書きだしていった
そうすると、
「あれ?その前にも似たようなことあったな」って
もっと前に掘り下がる
それを思い出すと
「あれ?あれもそうだったのかも」
って、どんどん出てくる
そうやって
引っかかっている自分の記憶を
どんどん手繰り寄せていく
で、
私はなぜ「ない」のかと思ったのかと言うと
そう、言われたからだった
子供の頃にそう言われてから
そうだと思いこんじゃった
ずーーっと昔。
小学生の時に
(内容はうろ覚えだけど)
クラスの女の子が男の子に泣かされたとき
私は「たいしたことないよー」って
めそめそしてほしくなくて
クラスの雰囲気が重くなったときに
笑わせようとしておちゃらけたんだ
先生の物まねしてさ
男子は爆笑。
女子はひいた。
私はクラスメイトが泣いてる時に
どう対応したらいいか分からなかった
とにかくその場の重い雰囲気を変えたくて
なんとか明るくしたくて笑いに持っていきたかった
でも、非難されてしまった。
「〇〇ちゃんのこと、可哀想じゃないの!?」
他の女の子達は固まって
可哀想、可哀想ってその子をかばい
ひどい、ひどいって男子を非難していた
正直、私はその感覚が分からなかった。
だって私はいつも
悲しい時は布団かぶって
声殺してひとりで泣いてるよ?
泣いてたら見つかったらよけいに怒られるよ?
思春期と共に
そんなことが増えてきて
言われ続けるうちに
私の気持ちはどんどんひねくれた
「どうせ私は分かりませんよーだ」
そうして私は
どんどん優しくないと思われる人になっていった
仁さんがよく言うように
自分が一番自分のことを「そう」思っているから
物事をどんどん「そう」なるように仕向けていた
で、また言われたりする度に
自分で感じたりするごとに
「ほらね、やっぱり私は優しくない」
って、確認している。
それをわざわざ証明していた。
ノートに書きだしたことを
振り返ってみるとそれがよく分かる
誰もそんな風に言っていないのに
さも、そう思われているはずだって決めつけてたり
誤解して先回りしてその人やそのことを避けていたり
もちろん、当時は思いこんでいるから
今見ればおかしいことも全然見えてないし
もしかしたら、周りが違うよって言っていたかもしれないけど
聞く耳も持っていなかったから記憶に残ってない
やってこなかったから
「ある」に気づいても
どう表現したらいいか分からない
人に優しくするってどういうことか
人に思いやりを伝えるってどう言えばいいか
でも、お手本は周りにいっぱいあるし
分からなくても、正解は求めない
それに正解はないと思うんだ
さらに言えば、
きっとどう受け取るかさえ相手の自由やし
正解を求めると
これで良かったのかなとか
こう言って伝わったかなとか
「確認」したくなっちゃうもん
そうするとまたあの苦しい「ジャッジ」が始まっちゃうよね
ただ「ある」と気づいて(信じて)
何かしてあげたくなったらすればいい
何か言いたくなったら言えばいい
今日は休日なのでブランチデー

(と勝手に決めている)
母はパンケーキが大好きなので
答えは分かっているけど、聞いてみる(笑)
「今日は、朝昼兼用でブランチに行こうと思うんだけど
何がいい?」
「久しぶりにパンケーキが食べたい」
今日は二子玉川の「bills」へ🚙💨